2017年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月
2007.12.07 (Fri)

みかん Ⅱ    無選別の魅力

20071207081544.jpg

みかんの木の前に立って みかんをもごうとする時 同じ木でも大きいのやら小さいのやら、また黄色の強いもの、まだまだ青さが残るもの、いろいろあるのが見てとれる。
 さて これを出荷の時に S、M、Lなどと選別するのであるが 常々思うことがある。
大きさだけではない、優、良、可、不可、という品質の優劣によるものもある。
それは とても大事なことであることは承知している。
しかしながら そればかり一辺倒ではあまりにもさびしすぎる。
野菜でも ちょっと曲がっていただけで 規格にあわない、また商品にならない、という声を聞いたことがある。それらは価格という、大事なことがかかわってくるから 仕方のない面があると思うが
通常の選別のところへ もう一つ [無選別]、というセクションを設けてほしい、と思う。
 私が唯一行った海外旅行で ヨーロッパのお店の軒先に並べられていたイチゴが忘れられない。曲がったもの、大、小、さまざまのが一つの箱にはいっていた。混在した全体で一つの商品となっているのだった。
それが とても新鮮に見えた。

【More・・・】

 さまざまな形、大きさのものが一緒にある、いわゆる不揃いの魅力、これがまたとてもよいと思う。
このごろは 何でも選別され過ぎていて あまりにそろいすぎて 全く面白くないように感じられる。 
自然界はそうではないと思う。
うんと小さくてもぐっと甘いもの、大きくてもそうでないものもある。
また 扁平な形のものもある。多少肌色のよくないものもある。
 もっとありのままを感じれる、また楽しむことが出来る、無選別というセクションがあってもよいのではないだろうか。 特に 農産物においてはそうである。
 一方、いただく側としても 良いものばかりではなく、そうでないものも ありのままを選ばずにいただかせてもらう、という謙虚な気持ちになれば もう求道者として臨むことが出来るというものだ。 小さな子どもにもいろんなことが教えれると思う。

 このごろは 農産物でなくとも 人間の世界でも 何もかも極端に選別されすぎているところに問題があるのでは、と思われることがある。
選別はしかるべき時には必要であるが 必要でない時もあると思う。
もっと混在した状態、の場を いろんなところで あるといい、と思うことがある。選別され過ぎると 全体、というのが ともするとわからなくなってしまう危険がある。お互いを知るチャンスさえなくなってしまうように思う。

 昔 冬のアルペン競技の選手の中に イタリアのトンバ選手という人があった。冬のオリンピックに出ていたと思う。かなりの実力の持ち主で きっと三冠王、どんな種目でも金メダルだろうと期待されていた。結果は 金、銀、銅のメダルだった。何が何でも金メダル、という、涙が出るような、風潮の中で インタビューに答えて、
[ 金、ばかりじゃつまらない。いろんな色のメダルを集めれて最高さ、]
なんて言っていたのが 実にカッコよかったのを今でも覚えている。こういう おおらかな心持というのも ある時は必要かと思われる。      職人K
EDIT  |  12:30  |  日記  |  TB(0)  |  CM(1)  |  Top↑
Comment
■ふぞろい
ふぞろいのみかんを 
少しだけ持ち帰ったおかあさん。
3人の子ども達は
「私のは小さい!」
「ぼくのは大きい!」
「わたしはこっち!」とか
ほんとに喜んで食べたそうです。

揃ってない楽しみがよくわかったそうです。
ARIGATO
UME |  2007.12.07(金) 13:22 |  URL |  【コメント編集】
コメントを投稿する
URL
コメント
パス  編集・削除するのに必要
非公開:  管理者だけにコメントを表示
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

 | BLOGTOP |