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2007.11.25 (Sun)

鷲田清一氏の講演、  [老い]について  Ⅰ

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昨日は鷲田清一、現大阪大学総長の講演を聴きに出かけた。
[老い]がテーマの講演であった。 氏は哲学が専門、最近その多くの著書、またテレビ、新聞などでも時々御活躍、現代人にとっての哲学ということで 私たちにあるべき方向というものを示唆されている人である。 場所は 石川県の西田幾多郎記念館。 氏によると 西田先生からみてひ孫にあたる立場、そのご先祖さまにあたる、この場所での講演は緊張してしまう、とのことだった。
 
 以前から 氏の著書を何冊か読んで前々から気になっていた、また一ファンである職人Mにとっては やっとめぐり会えた、とてもうれしい日であったようだ。 前々から このような人にこそ、自分の丸メガネをかけてほしいと言っていたのを覚えている。 そして偶然にも 氏は若い頃に 福井県の鯖江市にある期間だけ住んでおられたこともあり、実際まだ遠く血縁の人もあるとのことだった。

 氏は 常々 ファッションにおいても哲学がある、と述べておられることは知っていた。 そして 昨日のお話を聴いて 私たちのメガネを作る、という点においてもそうあるべきだ、とあらためて理解し、 また今後の方向というのに おおいに私たちの希望、また励みになって帰路につく結果となった。
 たとえば着るものなら、着た瞬間に はっ、と今までとは違う、その違う何かの中に 哲学を見出すということ、それならば 私たちでいうなら メガネについても同じことが言えるのではなかろうか、と考えた。
 メガネをかけてみたら、あれっ、と心地よいフィット感、またしっくり顔ととけ合う見た目のよさ、よく似合っていて 何かしらその人の人格そのものを表現しているような、人とメガネとの一体感、という今までと違う何かを メガネに表現できはしないだろうか、と 職人Mも考えていたに違いないと思う。
 哲学とは 決して 限られた人の、学者の間だけで語られるものではなく、 昔からの 生きる、ということのみならず 着る、ということや 待つ、といこと また聴く、ということなど 毎日の生活の中にも おおいに哲学を見出して考えてもいいのでは、ということだった。 そして それを解釈し、言葉にしてあらわすのが哲学者の使命でもある、とも。

 そして 今回のテーマである、[老い]ということに話がいくのであるが 聴いていて 昔とちがって 生活スタイルから何もかも変化してしまった現代においては だれもが避けては通れない、このテーマを考える場合、大変な時代に生きているということがあらためてよくわかった。 昔の時代にはそれなりに 老いた人の居場所というのがあったものだが 今はまったくといっていいほど その範囲がせばめられているということ。
そして いよいよ最後の その場所は 病院や介護施設に全部移ろうとしていること。 また 受け入れる側の 最後の場所では悲鳴にも近い声が聞こえてきているという現実があることなど、、、。

 [老い]とは今後、私たちにとって問題ではなく だれでもに問いかけられた、課題として考えたい、ということだった。  職人K
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