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2007.11.16 (Fri)

一日の旅  これもまた随縁

 可児市への旅は またまた出会いのある、充実した旅であった。  たまたま 帰省中の子どもも一緒であった。 夜7時前には彦根に到着、西の京へ 東の北陸へと それぞれに 思い出を胸に 帰路についた。
明日からはまた それぞれの場所で またいつもの日々の生活につかなければならない。
たった一日にして なつかしい人、新しくはじめての人、と 短い時間に会って話をしたり聞いたりした。いずれも皆、黄瀬戸など桃山時代に焼かれた桃山陶に魅かれに魅かれた人たちであった。
 美濃において  その名も残さず しかし今なお燦然と輝いて現代人を圧倒させる、また惹きつける、偉大な芸術品を産み出した、古の人は 素晴らしい。 その作風、その完成度を目指して 多くの人が今もなお それに近づくべく努力しているが 簡単には人を寄せ付けてはくれない。
 その方法は人それぞれに千差万別、様々な道が用意されている。
ただし 求める者のみ その道は開かれるようである。 そう思った。 
そして 美濃のだれもが 訪問者の中の若い者、私たちの子どもに対して 熱意を持ってその経験、奮闘の話をしてくださったのが 何よりうれしく、また有難かった。
 何年か前、子どもも一緒に平泉寺をたずねて散策したこともある知人は おみやげにと 黄瀬戸の茶碗[コップ]を子どもに持たしてくれた。
[ のどが渇いたら水を飲め、心が乾いたらお茶を飲め、]って昔から言うんだよ、って笑いながら、、。 とてもうれしかった。 はなれた、一人での生活の中で、またそうでなくとも 若い時は そんな時がきっとあるにちがいない。
芸術においても 学問においても また人生においても 難問は次々と出てくる。多くの人との出会いは そんなときにきっと参考になるときが来る。
 岐阜の知人ともひょんなことから やっぱり あの大萱の随縁の碑のある、牟田洞で知り合った。かれこれもう7、8年前である。それ以来交流が続いてもう 岐阜の人、といえば知人のことである。

 私たちには 桃山陶の再興などというような、大それた目標はないけれど 平凡で穏やかな毎日の暮らしが出来れば十分であると思う。
こういう変化の激しい時代に それさえままならない、大変な時代というのも感じている。凡人の平凡なる日々、を続けれるようがんばりたいと思う。
 おみやげにもらった岐阜の中津川の銘菓を一つ口にしたら しあわせがひろがった。知人の奥さんの話によると お菓子の形は 恵那地方の富士、恵那山[2190m]の形だという。  職人K

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