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2007.11.15 (Thu)

岐阜県可児市へ  to tell the truth、 織部の絵から

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 織部のぐいのみ、現代

「本当のことを言うとね、ぼくはね、何だな、桃山時代の陶器はね、特に 織部なんかはね、はじめて日本に入ってきた、ヨーロッパやアフリカなんかのね、南蛮文化の影響がね、とても強いと思うんだね。シナや朝鮮じゃなくてね、それで、、美濃だ何だ、なんて言っていないで 世界の中の ヨーロッパの文化の流れてきた、そしてそれを取り込んでさ、実際にやってみた、自由なのびのびとした表現、その結果としての織部、をね 世界規模の文化遺産としてさ、とらえなくてはいけないと思うんだよね、それで 本当のこと言うと、ヨーロッパから来るときにアフリカの人なんかも乗せてね、、それでやっぱりまた アフリカの空気というか、文化をさ、、一緒に乗せてきたと思うのね、、いろんなことが影響していると思うのね、、それで本当のことを言うと、、]   と、 いうふうに、可児市の知人に案内されて訪問させていただいたお宅で 何かわからないまま家の中へおじゃまして そして 「 どうも、どうも、、]から始まり いきなり 美濃の織部の絵柄についての独自の見解を述べられることから またまた新たな人との出会いが始まった。

知人によると 現役の陶芸作家である氏はちょうど還暦の60歳、現在、この美濃の地で 黄瀬戸における第一人者であるという。
雑誌やテレビにも何回か出ているとのこと、やはり 桃山陶の黄瀬戸に魅せられた人であった。


【More・・・】

氏によると 若い頃は現代芸術の経験もあったが 桃山陶の美しさに魅せられて タオル2本にて この地に来たとのこと。苦労の連続であったという。絵筆には自信があったので すぐに絵付けの仕事をあてがえてもらったものの、とても同じ絵を百もいくつも描けるものではなかったとのこと、そりゃあ、職人さんはすごいと思った、とのことである。やはり 一人の作家をめざして 今日まできたということだった。
 話はどんどん熱を帯びてきて、本当のこと言うと、というのが氏の口ぐせなのか、ひんぱんに出てくること、百回くらい聞いたような気持ちになってくる。
 氏は多くの人とはちがって 芸術全般が専門のところから 陶芸の道にはいられた。それゆえに 美濃の焼き物の美しさ、ということに 世界と日本のかかわり、という点に注目しながら追及されたようである。
そして その桃山陶の焼かれた時代をたくましく想像して その時代にまるで自分が置かれたように 忠実に再現しながら いろんなことを研究されているらしかった。 たとえば 現代では電気の照明があるが ろうそくの火のみの昔の環境を想定して。 また 釉薬など入れる器にしても 今みたいにプラスチックの完全な入れ物があるわけではなく 風が吹けば 本来の灰の中にまた別のものが飛んではいったのでは、と想定したり。 釉薬を取り出す灰の元となる樹木の表皮についての分析、 また水肥したものをかき混ぜるのは 若い者ではなく老人であったのではないか、という推理から 早くではなくゆっくり混ぜる場合はどうか、 とか 普通よく考えもしないようなことに 次々と着目、聞いてみて うーん、とうなることばかりで つくづく感心してしまった。また 聞いていてとても面白かった。 人なつこくって 来る者を拒まず、 これがまた 氏の人柄の魅力らしい。
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 桃山陶において、ヨーロッパやアフリカなど経由の南蛮文化の影響が強く映り出されているなんて、、そういえば 博物館で見た、それらの器には 何ともいえぬ独特の絵柄、模様がのびのびと自由に描かれていた。 それがとても斬新で、今なお新しく感じられたのを覚えている。
 志野、黄瀬戸、瀬戸黒、そして織部には 信長、秀吉のころより始まった茶の湯の文化が背景にある。この時代に 鉄砲、キリシタンなど
日本に新たなポルトガルなどヨーロッパの文化がもたらされたのであった。

 私たちはそこで 奥さんのおいしいコーヒーをごちそうになり、あっという間の時間を過ごさせていただいて 知人宅経由で 帰路についたのである。  職人K
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