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2013.12.29 (Sun)

今年一年有難うございました。

、、、
     白髭神社

     2013年もあと残すところわずかとなりました。
     1年の過ぎるのも本当に早いものだと思います。
     振り返ってみれば、今年もいろんなことがありました。
     夭折の文学作家、中島敦の言葉に、
     「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」
     というのがあります。
     中島敦なら後者でしょうが、ほとんどの人は前者だと思います。
     そして、大したことはせずとも、時間だけが早く過ぎてゆくように感じます。
     しかしながら、こうしてあるがままの平穏な日常を送れるだけでも、
     今という時代、感謝しなければならないことだとつくづく思います。
     
     今年1年いろいろとお世話になりまして、本当に有難うございました。
     来る2014年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
     皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください!!

     南天の木
     
                                                      
      ※写真、いずれも職人M  (上、滋賀県湖西にある白髭神社の鳥居)
                        (下、難を転じるという言い伝えの南天の木、京都市内)              
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2013.12.24 (Tue)

ヤマ幅の広い、34ミリやじろべえメガネです。

トリ1    ピー!!

トリ2  たくさんの木!!
                                          何かの材料かな?
                                    (黒檀(コクタン)材です。)

トリ3   何か、いつもより
                                          長細く見えるなあ、、
                               (34ミリ径、ヤマ幅広いタイプです。)
トリ4   ふーーん、
                                       真ん中の部分が長いのかな、、
                             (36ミリほどあります。ふつうは28ミリです。)
トリ5   おっ!!
                                  この部分は、この木と同じ匂いだ!、、
                                (そうです。この部分の材料の木です。)

    ちょっと変わったやじろべえメガネだけど、
    ボクを作ってくれた御主人のブログに、詳しく出てるよ!! → こっちだよ!!

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2013.12.19 (Thu)

ヤツデの花

ヤツデの花

冷たい雨が今日も降っています。
やがてこの雨にも白い雪が混ざって落ちてくるでしょう。
雪囲いの済んだ庭には、今 赤いサザンカの花が二つ三つ、、
そして、このヤツデの白い花だけが、寒さの中で咲いています。
雨に濡れて一層ツヤツヤした濃い緑の葉に映えて、
美しいこの白い花は、
これから落ちてくる雪の如く、
花を咲かせているようにも見えます。
                        、、、職人K

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2013.12.18 (Wed)

科学者の責任

湯川秀樹a

先日、久しぶりに京都へ出かけた。
ゆっくりと街中に出るのは、実に2年ぶりのこと。
用事のついでに、京都大学北部構内にある湯川秀樹の像を拝んでみたくなった。
以前は土台の石の建て替えをしていて、囲いがしてあった。
あらためてよく見れば、立派な白御影石の土台になっていて
そこには新しく文字が刻まれていた。

若い頃に 湯川秀樹自伝「旅人」を読んだ。
大変感銘を受けた。
湯川秀樹は、科学者でもあり、一方で常に思索する哲学者でもあった。

  ※ 湯川秀樹について    京の都にて、湯川秀樹の胸像   (2008,2, 8)
                    湯川秀樹 Ⅰ、自伝「旅人」より (2008,2,10)
                    湯川秀樹 Ⅱ、自伝「旅人」より (2008、2,12)
                    湯川秀樹 Ⅲ、自伝「旅人」より (2008、2,14)
                    湯川秀樹 Ⅳ、自伝「旅人」より (2008、2,15)

理論物理学と言う分野において、自らが語ったように、地図を持たない探究者であったなら、
最後に行き着いたところは、どういう結論だったろうか。
晩年になっては、アインシュタインらとともに、核兵器廃絶を訴えて亡くなった。
前に胸像を拝んだのは、2008年、東日本大震災の起きるずっと前だった。

こうして今、2011年3月の大震災、並びにフクシマ原発事故を経て、
あらためて見る湯川秀樹の胸像は、何も無かった昔とはまた違った思いがよぎる。
湯川が気にしていた「科学者の責任」について、あらためて考えさせられる。

フクシマ原発は、早い段階で、民主党政権時代に、収束宣言が出された。
しかしながら、収束宣言とはうらはらに、
今、どんどん汚染は深刻化し、拡大しつつある。
本当のところは、打つ手無しといったところではないだろうか。

原子力発電と言うものに対し、私たちは長い間、何も知らないでいた。
原子力の平和利用だと思ってきた。
あの恐ろしい原子爆弾と表裏一体のものであることを、これまで知らずにいたと言っても良いと思う。
自分で勉強しようと思えば、ある程度までは、何でもわかるようになってきたのが、
今という時代だ。
今まで信じてきたことが、
突然くつがえされることがあまりにも多くて、自分自身も正直混乱してしまっている。
湯川秀樹の言う、科学者の責任とは、当たり前のことのようながら、
今という時ほど 強く求められる時代はないのでないだろうか。
人類は何を為すべきか、専門家として責任ある態度をとってほしい。

また当時の湯川にとっては、何か他の深い意味も込められているのだろうか。
今回は、以前とは違う、複雑な思いで胸像を眺める私だった。
                                       、、、職人K

湯川秀樹の像1a

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2013.12.13 (Fri)

やじろべえメガネ、2つ

、、、
     やじろべえ1

       再び、やじろべえメガネです。
       女性の方から ご依頼受けました。
       イチヤマではなくて、従来の左右鼻当てが付いています。
       テンプルは短めになっております。

     やじろべえ2
 
       こちらは、イチヤマタイプ。
       どちらでも、お好きなほうを選んでいただければ、、と思っております。
       どうぞ、ごゆっくりと お試しください。
       上・下 とも、特別サイズの41×39ミリ、色はアンテックシルバーです。

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2013.12.09 (Mon)

紅葉の向こうに日野山

、、、、
     日野山

     今年は本当に雨の日が多い。
     ここのところずっと雨だった。
     昨日、今日は、めずらしく良いお天気の日。
     紅葉も残りわずかとなったようだが、
     近くの西山公園から望む日野山を、
     昨日、職人Mが久しぶりに撮ってきた。
     バタバタと何かにつけて気忙しい歳の暮れだが、
     この時期が、無事に過ぎてくれますようにと祈るばかりの私。
     たとえ写真でも、日野山が見えたら、
     手を合わせて拝みたくなる私だ。
     何故なら、私にとって、日野山は、お世話になった先生そのものだから

                                      、、、職人K

     本日の白山
               こちらは、神々がおわすという白山(石川県)

                             いずれも写真、職人M
     
     
EDIT  |  12:56  |  日記  |  Top↑
2013.12.06 (Fri)

岡倉天心展を見て (3)

                                  山田鬼斎a
                                      山田鬼斎、木彫「鷲」

天心没後100年展では、岡倉天心の育てた美術家、下村観山、横山大観、菱田春草らの絵画、
また、 高村光雲、山田鬼斎、板谷波山らの彫刻作品が一堂に並べられていた。
後に有名になった絵画もさることながら、
在学中のデッサンや、作品は、さすがに見事!というばかり。
特に、我が福井県出身の山田鬼斎の木彫は、精巧で緻密、
芸術家というより職人芸の域で、高村光雲とともに、抜きん出た才能が感じられた。
( 残念ながら、山田鬼斉は37歳の若さで夭折している。)
ただし、明治という時代の、押し寄せる西洋化の荒波の中で、
古来からの日本美術の再興を念頭におく美術学校にあって、
油絵などの西洋画科は、9年も遅れて設置され、
それを志すものにとっては、しばらくは 冬の時代だったようだ。

素晴らしい作品を一つ一つ見て回り、出口付近に、
伝統ある歴史を受け継いで今日に続く、現代の大きな作品が同時に展示されていた。
「うーーーん、、、」
と、ため息をついた。
現代の、この大きな作品を以ってしても、
中にあったどんなに小さな作品にさえも 迫力が及ばないのは、
100年以上という時間のせいだけでもないと思うのは、私だけだろうか。

今よりも、物質的にはずっと不自由で困難な時代にありながら、
時代を超えて今なお光り輝くものの正体は、
作品からにじみ出る芸術家の精神、魂そのものである、、そう実感した私だった。

                                      、、、職人K

落葉a
   菱田春草、六曲一双(右)「落葉」   福井県立美術館蔵

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2013.12.04 (Wed)

岡倉天心 (2)

 tea.jpg 英語出版された、THE BOOK OF TEA 、茶の本


岡倉天心は、外国を歴訪、明治の末期には、中国・インドなどの外国生活も長く、
英語の達者な国際人であったが、
新渡戸稲造や鈴木大拙など他の国際人と呼ばれる人とは違っているという。

武田邦彦氏によると、
それら多くの当時の国際人がヨーロッパやアメリカを尊敬しているのに対し、
天心は逆だったことだという。 
有名な「Asia is one 、アジアは一つ」という言葉がある

また多くの偉人と呼ばれる人は、その思想が激烈なものでも、
多くの書物には表面にはそれがあまり出てこないものであるけれど、
天心の言葉は、あまりにも激烈であるという。
武田氏は、天心の言葉に大変共感するものがあるという。  → → 武田氏記事
武田氏の指摘はなかなか鋭くて、大変興味深い。
現代にも通じるものがあると思う。

天心の英語力を表すエピソードが残っている。(wikiより)

時は1903年(明治36年)、米国ボストン美術館より招聘をうけた天心は、
愛弟子、菱田春草や横山大観らを連れて、羽織・袴で街中を歩いていた時、
米国人からひやかし半分の声をかけられた。
「おまえたちは 何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ ?」と。
それに答へて曰く、
「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」
流ちょうな英語で言い返したという。

原文は次の通り! 本当にカッコイイ。

   「What sort of nese are you people?
    Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?」

   「We are Japanese gentlemen.
    But what kind of key are you?
    Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?

EDIT  |  23:24  |  日記  |  Top↑
2013.12.03 (Tue)

岡倉天心展に行く (1)

                                   岡倉天心
                                    岡倉天心(1863-1913)

今年は、岡倉天心の生誕150年、没後100年にあたるという。
こちら福井でも、岡倉天心ゆかりの地として、その記念展がつい先日まで開かれていた。
 ( ※ 天心ゆかりの地→ → 過去記事 )
最終日の前日、ナイター展に出かけてみた。

岡倉天心は、明治のはじめに、日本美術界に大きく貢献した人物。
東京美術学校(現、東京芸術大学)の設立に貢献、日本美術院を創設した。
英語が堪能であったことから、英文での日本の美術の紹介、著書出版、諸外国訪問、
若手美術家の育成など、多方面にわたり功績を残したことは周知のとおり。

岡倉天心の父は、福井藩の下級武士ながら、
藩命により、武士の身分を捨て、藩が横浜に開いた商館「石川屋」の貿易商となった人物。
天心はその横浜で生まれた。
当時は、幕末から明治維新へと続く激動の時代で、新しい時代の夜明け前、
江戸から遠く離れた裏日本の福井藩にとって、
海外のいろんな情報を得るためには、貿易商としての横浜の地は、格好の場、
商いそのものより、情報収集が大きな目的だったことが推察される。
進取の気性に富んだ福井藩主の意向もさることながら、
いつの時代にも、情報収集は、政治をつかさどる側にとっては、大変重要な事柄。
藩主と岡倉(父)は、私的にも親密になって、ひんぱんに連絡もとってたようだ。
世界に扉が開かれた横浜の地で、しかしながら使用人の多くは福井弁という、
奇妙な条件が同居した珍しい環境の中で、天心は育った。
そして、教育熱心な父のもと、
英語はもちろん、漢学をはじめとする多方面の学問教育をうけたことによって、
当時にしては珍しい、国際人としての将来の大きな仕事につながったようだ。

展覧会会場の中ほどに、
当時の東京美術学校でのデッサン室が再現されてあった。
あなたも記念写真をどうぞ!とのコーナーも用意されていた。
当時のフィルムにあるのは、横山大観や菱田春草らだろうか。

東京美術学校授業風景
         東京美術学校授業風景
デッサン
    イーゼルの前に座って当時の気分を味わう来場者

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2013.12.01 (Sun)

今日から12月

、、、、
     真っ赤な南天
             黒と白に赤の美しい風景、これも COOL JAPAN? 
                                         (写真、職人M)


       今日から12月。
       今年も あっという間に月日が過ぎて 最後の月となりました。
       昨年暮れの選挙から、ちょうど1年になります。
       政治も経済も大きく変化しました。
       1年前には誰も予想もしなかったことが、次々と起きています。
       まさに、先のことは誰にもわからないということでしょうか。
       ということは、これから先、落胆することばかりでもなく、
       また、逆に希望の光のほうもあると考えたいものです。
     
       漆喰の白と、腰板の黒色を背景に、今の時期、ひときわ赤色が美しい南天。
       このナンテンのように、
       あらゆる難が、転じて 良い方向に進んでくれますように!!
       そう願わずにはいられない、2013年の年の暮れです。
       元気出して ゆきたいものです。

     
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