2013.01.31 (Thu)
1月も終わり

1月も最後となる本日は、朝から良いお天気の兆し、
果たして そのとおりの好天の一日となったが、
早朝、たまたま出かける用事があって郊外まで出たら、
霧がかかったところに太陽の光が射し込んで、
かもし出される幻想的な風景が、大変美しかった。
(同じ濃霧でも、有害で深刻な北京の濃霧のほうは大変だ (>_<)
ここは高速道路高架のすぐ近くの川のほとり、
時刻は午前8時少し前、通勤のクルマも次々と通り過ぎるが、
ごく日常的な人の気配やクルマの音など世俗的な社会の喧騒が、
すべてこの幻想的な景色の中に吸い込まれてしまうかのような風景だった。
2013.01.27 (Sun)
ジッと我慢の時
2013.01.26 (Sat)
荒れ模様の冬日


昨晩より、この冬一番の寒波到来、強風とともに雪が舞い降りている。
激しく降っているかと思えば、急に止んだりもするが、いつにない厳しい寒さだ。
日野川の近くまで出てみたら、
勢い増して流れる本流とは別の、流れのゆるやかなところに、
降りしきる雪の中、たくさんのトリたちが、
身を縮めながら 仲間同士 身を寄せ合っていた。

トリにとっても、じっと我慢の時。
ちゃんと居るべき場所を知っている。
日野川など河川はまだ良いけれど、
こんな空模様の日には、日本海は 荒れに荒れているはず。
越前海岸に吹き付ける冬の季節風は、半端でない。
海岸には、降り注ぐ雪だけでなく、
今日のような日には、波しぶきからなる波の華が舞っているかもしれないと思った。
、、、職人K

友人宅の玄関先に掛けられた、キルトのアート作品
〈とってもgood!!テーマは冬の日本海?〉
2013.01.24 (Thu)
母の思い

このたびの、遠くアフリカの地で起こった悲しい出来事、アルジェリア人質事件、
その後の詳しい情報が、少しずつ報道され始めている。
死亡が確認された日揮社員の方の一人、伊藤文博さんの母は、
東日本大震災の津波で家を流され、現在は仮設住宅での一人暮らしの82歳。
そこで最愛の息子さんの悲報を知らされたという。
テレビの画面に、その嘆き悲しんでいる姿が映し出されていた。
見ていて、とてもつらかった。
年老いてから、次々と起こる不幸な出来事、、
津波の被害だけでも大変なことなのに、今度は思いもよらぬ、
心の大きな拠りどころを失ってしまって、
これから何を頼りに生きていけばよいのだろうか。
とりわけ 年老いた人の 哀しい表情は、いっそうつらいものがある。
遠くにいながらも、いつも母親を気遣う心優しい息子だったという。
還暦を前に、本人も 帰省するのを楽しみにしていたという。
報道によると、伊藤さんは、地元工業高等専門学校から東京工業大学に進学し、卒業、
日揮入社直後から、アルジェリアなど海外の天然ガスプラント建設に携わっていたという。
母校の同窓会では、天然ガスプロジェクトについて講演、
59歳の現在に至るまで、その道一筋だったようだ。
「真面目で誠実、品行方正という言葉は彼のためにあるようなもの」と評する人も。
母にとっても、文字通りの、自慢の息子だったと思う。
本当に気の毒だ。
東北と聞いて、私は野口英世の母、シカのことを思い出した。
たとえ自分がどんなに厳しい状況に置かれようとも、
遠くで活躍する子どもは生きる希望の光。 光さえあれば、どんなことでも我慢が出来る。
苦労の連続、しわだらけの黒い顔のシカの生涯は、そんな姿だった。
親、とくに母親とは、そんなものだと思う。
子どもに先立たれる親は、とても不幸だ。
生きる希望の光が無くなるのだから。
今回の事件の背景には、アルジェリアの隣国マリからの複雑な事情があるようだ。
アフリカと、そこを植民地支配していた欧州諸国には、
私たち日本人からすると、想像出来ないような関係、長くて過酷な歴史がある。
日本とイスラム諸国との関係は、少し前までは まだ良かった。
日本人ならと、釈放される場合も多かったという。
日本人が標的にされた理由は、それとは違う他の理由があるのだと思うが、
いずれにしても、
遠く離れた異国の地で、これからも資源をもらったり、経済活動をしようと思うと、
何ごとも簡単にはいかない時代となった。
現地の人にも、父があり母があり、息子がある。
親子の情も、人間としての思いも、郷土への愛着も皆同じだ。
同じように生活していく、人間としての権利がある。
生きる希望の光も同じようにほしい。
今後どのようにあるべきなのか、
日本人にとっては、悲しくて厳しい現実の今回の事件だけど、
今後の大きな問題を突き付けられた結果となった。
、、、職人K
2013.01.22 (Tue)
蝋梅の花
、、、、、、

(写真、職人M)
今年も蝋梅の花開く頃となった。
厳しい寒さの中で 可憐に咲く花、蝋梅。
梅という字が付きながら、梅ではないことは知っている。
春を告げる梅はまだまだ先、サクラはもっとその先だ。
しかしながら、黄色の、この上品で可愛らしい花を見ると、
遠いながらも、暦は確実に春に向かっていることを実感する。
毎年、時期が来れば 当たり前のように花開くように思うこの花も、
出来、不出来があって、不作の年もあるようだ。
いつも気にかけて見るところは、今年は数えるほどしか花が無かった。
これは、越前市内で見つけたもの。
思いもよらないところで、出会うと、本当にうれしい気持ちになる。
歳を重ねる毎に、何かにつけてロウバイしてばかりの私だけど、
同じ言葉でも、こちらのロウバイの方は、大歓迎の名前だ。
、、、職人K

(写真、職人M)
今年も蝋梅の花開く頃となった。
厳しい寒さの中で 可憐に咲く花、蝋梅。
梅という字が付きながら、梅ではないことは知っている。
春を告げる梅はまだまだ先、サクラはもっとその先だ。
しかしながら、黄色の、この上品で可愛らしい花を見ると、
遠いながらも、暦は確実に春に向かっていることを実感する。
毎年、時期が来れば 当たり前のように花開くように思うこの花も、
出来、不出来があって、不作の年もあるようだ。
いつも気にかけて見るところは、今年は数えるほどしか花が無かった。
これは、越前市内で見つけたもの。
思いもよらないところで、出会うと、本当にうれしい気持ちになる。
歳を重ねる毎に、何かにつけてロウバイしてばかりの私だけど、
同じ言葉でも、こちらのロウバイの方は、大歓迎の名前だ。
、、、職人K
2013.01.18 (Fri)
tomorrow classic
2013.01.16 (Wed)
やじろべえメガネの曲線
2013.01.14 (Mon)
百坂を上る
2013.01.12 (Sat)
色の再塗装
2013.01.11 (Fri)
雪の朝
、、、

今日は、再び雪の朝。 あたり一面真っ白になっていた。

近くの空き地の梅園も白い雪景色。
冬のこの時期は、葉が無く枝だけにて 何もかもが筒抜け、
特に雪景色になると、樹木の形や特徴、樹勢のようなものがよくわかる。
大きな木が半分だけが残ったような姿は、
昨年夏に行われた、大がかりな伐採や剪定の結果の形。
大き過ぎて手入れが出来なくなったり、近隣との兼ね合いから、
この辺でも、大木はどんどん姿を消している。
いろいろ理由はあるけれど、実に残念なことだと思う。
昔から「大木は旧家の証し」とも言われるように、特に田舎では、
歴史を紐解く上で重要な目印になるということを、昔、武生の先生から教えてもらった。
現代では生活する上で、何かといろいろ問題があることを承知しているが、
大木も、我々人間と同じように長い歴史を刻んできている。
若い木ばかりでは、何か淋しい気がする。

木の中をよく見たら、何やら巣らしきものと、黒い体のトリの姿が、、


うーっ!!寒い!!
だんだんとおいらの居場所も小さくなってきたもんだなぁ~ カア!
(聞こえた人)、、、職人K

今日は、再び雪の朝。 あたり一面真っ白になっていた。

近くの空き地の梅園も白い雪景色。
冬のこの時期は、葉が無く枝だけにて 何もかもが筒抜け、
特に雪景色になると、樹木の形や特徴、樹勢のようなものがよくわかる。
大きな木が半分だけが残ったような姿は、
昨年夏に行われた、大がかりな伐採や剪定の結果の形。
大き過ぎて手入れが出来なくなったり、近隣との兼ね合いから、
この辺でも、大木はどんどん姿を消している。
いろいろ理由はあるけれど、実に残念なことだと思う。
昔から「大木は旧家の証し」とも言われるように、特に田舎では、
歴史を紐解く上で重要な目印になるということを、昔、武生の先生から教えてもらった。
現代では生活する上で、何かといろいろ問題があることを承知しているが、
大木も、我々人間と同じように長い歴史を刻んできている。
若い木ばかりでは、何か淋しい気がする。

木の中をよく見たら、何やら巣らしきものと、黒い体のトリの姿が、、


うーっ!!寒い!!
だんだんとおいらの居場所も小さくなってきたもんだなぁ~ カア!
(聞こえた人)、、、職人K
2013.01.08 (Tue)
越前水仙

今年の越前水仙はずいぶんと開花が遅い。
昨年の夏が暑すぎたせいだとも聞くが、よくはわからない。
一番の出荷時期だったお正月市場にも間に合わず、こちらの店頭にも出てこなかった。
ようやく今になって店頭に少しは出てきたが、やはりツボミのままだ。
昨年は、かなり早くから花開いて、
お見舞いにいただいた越前水仙が、病室の窓際を華やかにしてくれた。
職人Mは、ずいぶん心が和んだことだと思う。
今日のように寒さがいくぶんやわらいで陽が射すような日には、
固いツボミが少しは膨らむのではないだろうかと、
先日買ってきた越前水仙をよく見たら、
ツボミを覆っているうす皮のようなものが剥がれて、少し大きくなっていた。
花が咲きかける、初々しい場面だと思う。
室内は外より暖かいからもうじき花開くはずだ。
しかしながら
開花の待ち遠しい、この越前水仙だが、群生あるいは栽培している海岸沿いでは、
やがてまた大雪ともなれば、ますます開花が遅れてしまうのではと心配になる。
越前海岸に吹き付ける冬の季節風は半端ではない。
海岸線は雪が積もることは少ないが、それでもたまにある。
願わくば、今年はそんな風にはなりませんように。
越前水仙は、そんな厳しい冬の気候の中にあってこそ、
凛とした、気品のある、香り高い水仙となるとのことだが、
福井県の県花として、古くから県民に愛される、私も大好きな花の一つだ。
、、、職人K


偶然にも福井県の地図のような形が浮き出た、越前焼きの壺(職人M作)に挿し入れて
2013.01.05 (Sat)
メガネのニコニコ顔
2013.01.05 (Sat)
さようなら! パテイ・ペイジ

若かりし頃のパテイ・ペイジ
米国の1950年代を代表する歌手、パテイ・ペイジが先日亡くなったという。
85歳だったという。 テネシー・ワルツなど、数々のヒット曲で知られるが、
まだ存命だったことを知らなかった。
聴いていても、とても美しい英語の発音で、大好きだった。
パテイ・ペイジのヒット曲は、1950年~70年代であるから、
今から思えば、米国の古き良き時代だっただろうか。
少女時代にラジオ番組に歌手の交代としてたまたま出演したのが、
歌の才能を認められ、大歌手の道を歩むことになったということを、
ずいぶん昔、職人Mから教えてもらった。
人間の運命、あるいは人生の面白さ、また「定め」ということについて、
つくづく考えさせられるエピソードだった。
それ以来、一時はよく聴いたものだが、最近はなく、今 とても懐かしく感じられる。
パテイ・ペイジは、
1927年のオクラホマ州の生まれ、大家族の貧しい家に育ち、
一家は電気もなく暮らし、日が暮れると本を読むこともできなかったという。
昔のそのような事情は米国に限らず、いずこも同じで、よくある話だが、
今の時代の米国の状況と照らし合わせながら、
今、あらためて パテイの歌声を聴くと、
失われたものや、そんな時代がなつかしく思い出されるようで、、
何か哀しさがこみあげてくるような気持ちになった。
、、、職人K
I Went To Your Wedding(涙のワルツ) by パティ・ペイジ
グッバイ PATTI! we were losing you!
2013.01.03 (Thu)
今年はヘビ年
2013.01.01 (Tue)
新年明けましておめでとうございます。
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