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2012.03.29 (Thu)

春、tomorrow classic

tomorrow classic spring
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(アンティックシルバー、セル巻、40ミリ)

若い女性からお求めいただきました、細リムclassic、セル巻バージョンです。
そわそわしてくる春、若くて、素敵なセンスが光ります!!

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2012.03.27 (Tue)

一番咲きの梅の花

白梅

今日は朝から久しぶりに暖かい日差し。
冷たい風に固く閉じていた花の蕾も ようやく膨らんできた。

本県ゆかりの作家、津村節子には「遅咲きの梅」という題名の作品があるが、
これは、一番咲きの梅の白い花。
朝の陽の光の中で見る花は、格別美しい。
咲いた梅の花をじっとよく見ると、
こんなにあったかしらと思うほど、たくさんの数の雄しべがある。
身の回りには、案外知っているようで、知らなかったことが結構ある。
そんなことを見つけ出したら、楽しみの世界は無限に広がると思う。
大自然でなくても、身近な小自然は、
例えば、街路樹のまわり一つとっても、観察眼を養う宝庫である
、 との言葉が思い出される。

身近に、そんな楽しみを見つけたいと思うし、また、だれでも、
これから近くを見わたしてぜひ見出してほしいと思う。
                                         、、、職人K


梅の木
                 これからいよいよ開花の始まる梅の木

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2012.03.24 (Sat)

鹿に出会う

             シカ2匹

先日に続いてまた越前市の道中、ハッと気付いたら、山側に2匹の若い鹿の姿があった。
クルマを止めて、急いでカメラを取り出した。
向こうも、興味しんしん、動かずにじっとこちらのほうを見ている。
雪が無くなり暖かになって山から出てきたのだろう。
こうして すぐ近くで 野生動物を見るチャンスは滅多にない。
わくわくしてしまうが、それだけ数が増えてきたということだろうか。
数が沢山増えれば、その害のほうも大きくなってきて大変だと思うが、
キョトンとした鹿の表情を見ていると、何とも憎めない気持ちになる。
山の中の鹿といえば、
山中鹿之助の名前を思い出されるが、
「我に、七難八苦を与えたまえ!!」の言葉には、程遠いような鹿の愛くるしい表情だった。
                            
                                        、、、職人K
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2012.03.23 (Fri)

丸めがね、太いもの細いもの

,,紅梅

春です。 こちらも ようやく 春めいてまいりました。
屋外にある白梅も、紅梅も、一つ二つと開いてきています。
先駆けてこその梅に続いて、やがてサクラへと、
あちこちで いろんな種類の花々が咲くことになるでしょう。

丸めがねのほうも 太いものや 細いもの、、
それぞれに出番を待って登場です。

カブトンめがね  
                 チタン削り出し板枠、カプトンタイプ
                          ( → → 職人Mのイザ・ブログ)

やじろべえめがね
                  やじろべえメガネ、シルバー色
                          ( → → 職人Mのイザ・ブログ)
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2012.03.20 (Tue)

コウノトリの飛来する里の風景

水田2

今日はのどかな春分の日。
コウノトリが飛来するという地区を通ったら、水田が大変美しかった。
遠くの山々が鏡のように水面に映し出されている。
なるほど、、コウノトリのえっちゃんでなくても、、見とれてしまう。
ここで収穫されるお米は美味しいはずだと思った。
昔の唱歌の歌詞にあるような美しい風景、
いつまでも残ってほしい風景だと思った。
                                   、、、職人K

水田1
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2012.03.19 (Mon)

シルバー、ヘアーライン仕様

                             ヘアーライン白

模様のあるリムのやじろべえメガネ、シルバー色です。
今回、御要望により、さらにヘアーライン仕様となっています。
これまでのピカピカ光沢のシルバー色より、やや控えめな印象となりました。
微妙な違いですが、お客さまの御提案はいろいろと参考になります。
やがて 同色のクリップオンとともに、
段々完成が近づいてきました。

シルバー、ヘアーライン入りa
                 イチヤマの表面にもヘアーライン仕様
シルバー
                       シルバー、ピカピカ光沢仕様

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2012.03.16 (Fri)

橘曙覧について Ⅱ

                                橘曙覧記念文学館

福井市の足羽山の急な坂、愛宕坂の中腹に、橘曙覧記念館はある。
橘曙覧の住んでいた「黄金舎(こがねのや)」の跡に建てられたものだという。
つい最近までは「五嶽楼」という老舗料亭があったところだ。

記念館に入ると、橘曙覧の筆跡のわかる書の屏風が展示してあった。
今回、はじめて見る曙覧の書だが、
流麗というか、洗練されていて美しく、とても味わいがあって、素晴らしいと思った。
清貧の歌人の書と聞けば、ピッタリするだろうが、
私が描いている橘曙覧像からすると、
垢ぬけして、あまりに洗練されている書は、意外に感じられた。 大変驚いた。
その橘曙覧の暮らしぶりについては、昔、武生の先生から何回も聞いていたからだ。
(橘曙覧の母方は越前(武生)の人。父方は和歌山の橘諸兄の血筋であるという。)

橘曙覧の「藁屋」と言われる住まいを復元したコーナーもあり、
机に向かって座している曙覧の等身大の人物の像があった。
はたして畳は擦り切れ、清貧にふさわしい質素な佇まいだったが、
これもまた、聞いていたイメージとは違っていた。
文献に記されるよりも うんと美しく復元されたようだ。 (^^ゞ
橘曙覧についての文を引用してみよう。
以下は、名君といわれる福井藩主、松平春嶽公の日記から。

  かねて自分よりすぐれて物事を知る人には、身分の高下を問わず会ってモノを尋ね、
 あるいは物語を聞きたいものだと思っていたが、今日はこのころには珍しく日影あたたかに、
 久かたの空晴れてのどかな日和だったので、こんな日には山川野辺の景色もよかろうと、
 巳の刻(午前10時)の鼓を打つころから野遊びに出かけ、三橋という所に行った。
 そこに見える家をさして中根師賢(雪江のこと)が、あれが曙覧の家でございますと言うのを聞いて、
 急に訪ねてみる気になった。
  行ってみると小さな板屋の惨めな家で、囲いもなく、片付けもしないのか、
 そこかしこ塵埃(じんあい)が山をなしている。柴の門とてなく、心許ない気持ちで家に入っていった。
 師賢が気ぜわしく「参議の君のお成りぞ」と大声で呼ばわると、中から膝折り伏せるようにして
 家の者が這い出て来た。
  少し広いところに入ってみると、壁は落ちかかり、障子はやぶれ、畳は切れ、雨の漏るような有様
 であるけれども、机の上にはおびただしい書物が積んであって、あやしげな厨子に人丸(ひとまる)の
 御像なぞも飾られていた。自分は着物を脱いで、賤(しず)の着るような粗末な衣に着かえた。
 そして扇一本を侍医の半井保に渡し、これを曙覧に与えよと伝え、あらためて曙覧に向かって言っ
 た。
 _そなたの屋の名を「わらや」と呼ぶのはふさわしくない。橘という姓の縁もあることゆえ、
 今日からは「忍ぶの屋」とあらためるがよい。
  とはいうものの家の中の汚いことはたとえようがない。虱(しらみ)という虫なども這い出てくる
 のではないかと思われるほどであった。
  だが、形はこのように貧しく見えるとも、その心の雅びこそまことにまことに慕わしいものだった
 のである。自分は富貴の身で大厦高楼(たいかこうろう)に住み、何ひとつ足らぬものとてない身上で
 あるけれども、その屋に万巻の書の蓄えもなく、心は寒く貧しく、曙覧に劣ること言うまでもないから
 自然とうしろめたくて顔が赤くなる気持ちがしたことであった。これからは曙覧の歌ばかりでなく、
 その心の雅を慕い学ばねばならぬと、と思った。
  さようの次第であるから、日ごろの心の汚れを洗い、浮世の外の月花を友とするよう、子孫の者も
 心がけるがよい。
                      (橘曙覧の家にいたる詞、松平春嶽、館に帰って記す。)


以上は、「清貧の思想」の中野孝次氏によるものだが、
氏によると、独身の鴨長明や吉田兼好の住まいなら 簡素で清潔、美しいだろうが、
子沢山の曙覧のほうは、汚く、相当な散らかり放題だったことがうかがえるという。
一般的に見た目は「清貧」というより「極貧」のほうがふさわしいかもしれない。
もっとも、お殿さまの眼から見れば、
当時の庶民の実際の暮らしはそんなふうに見えたのかもしれないが、
そのような極貧の暮らしの中にあって、
垢ぬけし洗練された書といい、歌といい、また深く学問をすることは、大したことだと驚かされる。 
そのギャップが何とも埋め難い。
まことにボロは着ててもココロの錦、精神世界のみが高雅で格別に清く美しいということだろうか。

いずれにしても、飾らずに素直に身の回りの日常を詠った歌は、本当に素晴らしいと思う。

   たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物くふ時

   たのしみは まれに魚煮て 児等皆(こらみな)が うましうましと いひて食ふ時

   たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人を見し時

   たのしみは 珍らしき書(ふみ) 人にかり 始め一ひら ひろげたる時


などは、「たのしみは、、」で始まる独楽吟の全部で52首ある、ほんの一部。
家族団欒の様子が、実際に人形でもって配置してあったのは、
こちらのほうは歌のとおり、ほほえましく真実味があった。
                                            、、、職人K
                                   

「たのしみは、」の独楽吟、現代でも暮らしの中に 美しい書と絵,
                                               美しい書と絵(現代)
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2012.03.14 (Wed)

橘曙覧について

                                  akemi_tachibana.jpg
幕末の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)は こちら福井の人物。
1994年(平成6年)、天皇皇后両陛下が米国を訪問されたときに、
クリントン大統領が、歓迎のスピーチの中で橘曙覧の歌を引用したことから、
一躍有名になったことは記憶に新しい。
すなわち、
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」 を引用して、
「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」
と、締めくくられた。
その後 クリントン大統領の言葉通り、両国の間に、新しい友好の花が咲いたかどうかは不明だが、
皮肉にも、ちょうどそのころから、米国のマネーへの暴走が始まったことを思うと、
同じ花についてとりあげても、
それを感じるココロのほうは、やはり かなり違っているということがわかる。
ましてや、清貧の暮らしの中にココロの豊かさを見出す楽しみをうたった、
橘曙覧の心中など わかるはずがないというもの。
(ちなみに、橘曙覧の歌を紹介したのはドナルド・キーン氏であるという。)

たのしみは、、と始まる、ごく日常の生活の中での心の豊かさを詠った橘曙覧の歌は、
明治の正岡子規がとりわけ絶賛したと言う。
万葉に学びながら万葉でないという、優れた歌人であり、また国学者である橘曙覧のことは、
今に始まったことでなく、戦前の教科書にもよく登場していたという。
一時話題となった本「清貧の思想」の中でも、清貧の歌人として とりあげられている。

こちら福井市内中央を流れる足羽川のほとりからすぐの足羽山(116.5m)の小高い場所には、
その橘曙覧記念館がある。
昨日、たまたま近くまで出かけたついでに、はじめて訪問することになった。
福井藩主、松平春嶽公が、わざわざ坂の上にある橘曙覧宅に出向いて 
歌についての教えを請うたという場所だが、
久しぶりに 橘曙覧という人物について思い出すことになった。

                                        、、、職人K
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2012.03.13 (Tue)

花の季節

                   sakura A


たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時

とは、幕末の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の一句。
庭などで実際に見つけた花ならば、そんな句が出てくるだろうか。

残念ながらこちらは今朝も冷たい雪化粧の朝、外はまだまだ寒い冬の天気。
そんな楽しみがわいてくるのは、もう少し先のこと。
梅の花さえ、まだ蕾のままだ。
ほんのりピンクの花をつけたこの枝は、
昨晩友人からいただいた、咲き始めたばかりのサクラの小枝で、
この時期には まだまだ珍しい花。
サクラの花は、やはり 日本人にとっては 特別な花だろうか。
こうして 手にして眺めると、わくわくしてくる。
家の中に、一枝あるだけで、ずいぶん雰囲気が違ってくるように思う。
こんなに冷たい朝でも、うれしい気分になってくる。
今年は、例年にくらべてかなり遅れるらしいが、
もう少しすれば、いよいよ この花の季節が到来だ。
                                    、、、職人K

雪化粧の朝
                      再び雪化粧の朝
sakura C
               開花が待ちどおしいサクラの花                 

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2012.03.10 (Sat)

ドナルド・キーン氏日本国籍取得

                             ドナルド・キーン氏
                                           喜びのキーン氏

日本文学研究者のドナルド・キーン氏(89歳)が、このたび日本国籍を取得した。
氏は、40年にわたり日本文学を研究、その著作活動のため 米国と日本を行き来していたが、
このたびの東日本大震災に大変心を痛め、
多くの外国人が日本を離れる中、永住を決意したという。
奥の細道を旅した松尾芭蕉や東北の地には特に惹かれていて、
今回の東北の被災は大変なショックで、いたたまれなかったという。

親日家で知られるキーン氏の、新しい戸籍名は「キーン・ドナルド」、
漢字では、「鬼 怒鳴門」であるという。
外国に生まれながらも、このように遠い日本に惹かれ、
晩年になってからその地に骨を埋めようと考えるのは、よほどのこと。
キーン氏によると、
「私は、日本という女性と結婚したようなもの、、」の言葉のとおり、
日本に対する思いは大変なものだ。
私たち日本人にとっては、何ともうれしく、誇らしいことであると思う。

何故、氏は、それほどまで日本に惹かれるのだろうか。
  「日本語は素晴らしい、世界に誇れる言葉です。
   特に古典の深さは言葉では尽くしきれないほどです。」
 と、
日本文化のとりこになった、氏の経歴を聞くと、大変興味深い。

  小さい頃から、外国への強いあこがれや興味を持っていた。
  外国語の勉強を痛感する。
  9歳の時に父の仕事についてまわり、太平洋を渡りヨーロッパ諸国を見てまわる。
  それがとても良い経験となって、根っからの平和主義者となる。
  優秀な成績でコロンビア大学に進学し、西洋文学を専攻するも、
  ある日、タイムズスクエアの古本屋で「源氏物語」に出会ったことが、運命を変えてしまう。
  やがて、日本語で原文を読みたいという思いにかられる。
  間もなく日本と米国は戦争を始めることになるが、
  考えたすえ、海軍の日本語学校に進むことになる。
  そこは日本の情報を集める機関で、戦場へ行かずとも、日本語を勉強することが出来た。
  主な仕事は、日本軍が戦場に残した資料や日記の翻訳。捕虜への聞き取り。
  日本語はみるみる上達した。 

 
  「アメリカの水兵の手紙を読んだり、日本兵の日記を読んだりしました。
  アメリカ兵は十分な軍事物資があったにもかかわらず、
  『早く帰りたい』『食べ物がまずい』と不満ばかりを書いていました。
  ところが、日本兵はろくな食べ物もなかったのに、文句一つ言わないのです。
  私はこの時、アメリカ人より日本人の方がよっぽどえらい、と心の中で思ったものでした」


戦争当時、米国の、日本に対する研究はかなりのものと聞いてはいたが、
なるほど、キーン氏のような人物が多く携わっていたのなら、、とあらためて思った。
単なる情報収集のみならず、日本人の考え方まで深く調べ、考察しているわけだから。
ともあれ、源氏物語など日本の古典を産み出した、とても素晴らしい日本という国に、
その後もどんどん興味が湧き、惹かれて今日までこられたのだと思う。

そんなキーン氏が、今の日本を見て、
「率直に言って、今の日本人にがっかりしています。」と、苦言。
キーン氏によると、もっと日本人は助け合うと思っていた。
東京にはまだまだ不要な電気が多すぎるし、震災を忘れてしまったかのようだと。
本当にそう思う。 確かに 一時のような雰囲気は消えてしまった。
しかしながら、それも無理もないかもしれないと思った。
津波だけならまだしも、原発事故というものが起きてしまった。
事故後の政府の発表だけが真実とは 誰も 思ってはいないだろう。 未知なる一大事態に、
どうしようもなくその場を離れるしか出来ない人が多くあるのは当然のことだと思う。
キーン氏の今回の行動には 心から敬服、感謝したいけれど、
苦言に対しては、
今、個々の日本人というよりも、
日本国の舵取りをする日本政府のほうに、
多くの日本人が失望してしまっているのです!と思う私だ。

                                      、、、職人K
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2012.03.07 (Wed)

麦の緑現る

麦田

ここ二、三日、急激に温度が上昇したおかげで、まわりの雪がアッという間に融けた。
ここは鯖江市郊外にある田んぼ。
雪が無くなったと思ったら、一面に緑色の麦が広がっている。
これはすでに昨年に種が蒔かれ、芽が出て、準備されていたもの。
長い間、ずっと雪の下にあった。
あえて麦踏みをしなくても、雪国では、
雪の重みがその代わりをしてくれるのではないかと思う。
近付いて見たら、麦は雪に押しつぶされて ペシャンコになったまま。
これからどんどん暖かくなれば、いよいよ成長が始まることになる。
麦も、
やっと、重しがとれました!ずっと春を待っていました!というところだろうか。 (^^ゞ
長い間雪に押されていた分、茎は、根は、うんと強くなって、
これから 姿勢を正して真っ直ぐ天に向かって伸びていく。
今から田起こしや耕作が始まろうとする中、
やがてどこよりも早く、
うんと青々とした清々しい緑の風景を私たちに見せてくれるはずだ。
                      
                              、、、職人K

麦

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2012.03.05 (Mon)

春を感じる、ひし形めがね

ひし形、ベージュピンク
                       ひし形めがね、ベージュピンク

ひな祭りの日も駆け足で過ぎて行きました。
飾り物の中には、なつかしいひし形のお菓子もありましたが、
ひし形めがね、再び登場です。
春を感じるようなピンク色系のひし形めがね
このたび、女性の方から、
これが良い!!と、言っていただき、大変うれしかったです。

ひし形、2つ
         二つ並べて、、(左/濃いピンク、右/ベージュピンク)
ひし形、濃いピンク
                          ひし形めがね、濃いピンク
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2012.03.01 (Thu)

今日から3月

                       桜餅、g
                           (いただいた桜餅を職人M作の器に盛って)

                       奥村土牛、ヤマザクラ
                                       奥村土牛、山桜

今日から3月。 早3月。 ようやく3月。 まだまだ3月。
2012年になってからも、目まぐるしく月日が過ぎて行くが、
フッと立ち止まって見ると、いろんな思いが交錯する。
ともあれ、こうして今、平穏無事にいれることに心から感謝したいと思う。

友人から、手作りの桜餅をもらった。
この季節にはピッタリのお菓子。 見た目も、味も、本当に素晴らしい。
塩付けされた桜の葉は、ちょうど山桜の初々しい若葉の色のようで、
このお菓子を見るだけでも 春を感じて しあわせな気分になる。
こんなお菓子が昔からある日本、
また 日本という国の美意識は素晴らしい、、とあらためて感心する。
これも一つの「COOL JAPAN」、日本の文化だと思う。
日本に生まれて良かったな、とも思う。

しかしながら、3月といえば、今年もまた、あの3月11日という日がやってくる。
あの恐ろしい東日本大震災、それにともなうフクシマ原発事故から、ちょうど丸1年。
あの日以来 人生が一変してしまった人はとても多いと思う。
そして、今もなお 先が見通せずにつらい思いをされている方々があるという現実。
そのことを思うと、とてもつらい。
そうでない自分たちは、普通に平生が繰り返されることだけでも有難いことだと思う。
忘れてはいけないと思う。
昨晩も、今朝も、それを思い出すかのように、またまた強い地震があった。
しかも 震源地は東海村で、また原発のある直下の場所。
大きな地殻変動はまだまだこの先もずっと続くのだろうか。
このような地震国である狭い日本列島に、原発が54基も存在すること自体恐ろしい。
今回の事故も、未だ何ら有効な解決の方向性も見出せずにいるのに、
それどころか、その影響がまだまだ拡大しているというのに、
廃止か継続かを決めかねていること自体 理解出来ない。

私たち日本人、また日本国には、
古来より、世界に誇るべき人間性、独自の豊かな情緒というものがあると言われている。
それは、古くは本居宣長から、現代では数学者岡潔が繰り返し述べているところのもので、
「大和魂」とか「大和心」また「まこと」というものに繋がるものだと理解している。
その美徳と言われる独自の感性を持ってすれば、
このたびのフクシマの方々の経験された大きな犠牲は、
こんなつらいことは二度と起こってほしくないもので、
決して他人ごとではなく、まさに、日本人全体のものとなるはずなのに、
どうして 廃止と決められないのだろうかと悲しくなってくる。
当面の失業や産業の衰退は大きな痛手には違いないが、
ずっと先を見据えた大きな視点で考えることが必要ではないだろうか。

人間の手に負えない、どうしようもない危険をはらんだもの、
サステイナブル(持続可能)でないもの、、
そんなものは、即時止めなければならないものだと思う。
第二、第三の同じような事態を招くことになる前に、
この大きな犠牲を無駄にせず、判断しなければならないと思う。

これを機会に、その道一筋に生きて来られた専門家の、
貴重で、真摯な意見を聴いてみるべきだと思う。
(今となっては遺言となってしまったこの提言、、15年後にそのとおりのことが起きてしまった。)             
                                     、、、職人K

 「原発がどんなものか知ってほしい」平井憲夫さん、完全版 1996年10月12日

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