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2009.06.29 (Mon)

小さい丸メガネ、リム巻きメガネ

2009,6,29

もう一つの小さなメガネ、38mmサイズのものは、ブラウンデミのリム巻き丸めがね。
本体は、アンティックゴールド色です。リムの方は、やや赤っぽいブラウンデミ、
テンプル先は、やや黄色っぽいトラトラ模様のシートモダンとなっています。
これで、遠近両用のレンズが入る予定です。

小さいけれど存在感があり、地味だけれど上品なカラフル感も少しあります。
ジェントルマン御用達だけれど、ちょっと遊びゴコロのある、こんなリム巻きのメガネはいかがでしょうか? 鼻あてパッドも、ついているほうが良いとのことで、固定して付けました。

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2009.06.28 (Sun)

小さい丸メガネ、ラベンダー色

小さいメガネ、ラベンダー色

今回、ご依頼中のメガネは、38mmサイズの小さい丸メガネ。
細リムの丸メガネは、40mmと42mmの2サイズで展開していますが、
もう一つ小さなサイズです。
人によっては、顔の大きさもさまざまです。
北大路魯山人のような、堂々たる大きな顔の人もあれば、小さくて繊細なイメージの細い顔の人もあります。
美術の専門家で、おしゃれなことにとても敏感な友人によると、
ほんのちょっとの大きさの違いでもずいぶん雰囲気が変わって、
丸メガネならなおさら違ってくる、、と聞きました。
今、その小さな丸メガネのリムにさらにブラウンデミのセルを巻く予定をしています。

また、もう一枚の小さなサイズのものは、女性用にて、こんなラベンダー色をつけてみました。
カラー塗装は、どうしても使っているうちに時間の経過とともにハガれてくることがありますが、
こんな色はどうでしょうか。 色白で、繊細なイメージの彼女に、どうか似合いますように。

                       小さいメガネ1
                                     38mm×24mmは小さなサイズ
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2009.06.27 (Sat)

芥川龍之介、「手巾」 Ⅱ

  岐阜ちょうちん   、、、、、、、、 (美しい岐阜ちょうちん、現代)

それから2時間の後である。 長谷川謹造先生は、またぼんやりと岐阜ちょうちんを眺めながら、
籐椅子にもたれていた。 読書のほうは1ページも進んでなかった。

 ――先生の頭の中は、西山篤子夫人のけなげな振舞で、未だに一ぱいになつてゐた。
先生は、飯を食ひながら、奥さんに、その一部始終を、話して聞かせた。さうして、それを、日本の女の武士道だと賞讃した。日本と日本人とを愛する奥さんが、この話を聞いて、同情しない筈はない。
先生は、奥さんに熱心な聴き手を見出した事を、満足に思つた。奥さんと、さつきの婦人と、それから岐阜提灯と――今では、この三つが、或倫理的な背景を持つて、先生の意識に浮んで来る。

先生はどれくらい幸福な回想にふけっていたかわからない。
と、そのとき、ある雑誌社からの仕事の依頼、「現代の青年に与ふる書」という題の寄稿に、
今晩の出来事を題材にして何か書こうと思いついた。
と、そのとき、読みかけていた本のページが目に入り、灯りの下で、別に読む気もなく、漫然とページの上に眼を落とした。

ストリントベルクは云ふ。――
 ――私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里(パリ)から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味(メツツヘン)と名づける。……
先生は、本を膝の上に置いた。開いたまま置いたので、西山篤子と云ふ名刺が、まだ頁のまん中にのつてゐる。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。さうかと云つて、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破らうとする、得体の知れない何物かである。ストリントベルクの指弾した演出法と、実践道徳上の問題とは、勿論ちがふ。が、今、読んだ所からうけとつた暗示の中には、先生の、湯上りののんびりした心もちを、擾(みだ)さうとする何物かがある。武士道と、さうしてその型(マニイル)と――
 先生は、不快さうに二三度頭を振つて、それから又上眼を使ひながら、ぢつと、秋草を描いた岐阜提灯の明い灯を眺め始めた。……                             大正5年9月


以上が、芥川龍之介の短編、「手巾」のあらましだ。
長谷川謹造先生が、今日会った西山篤子婦人の仕草、振る舞いの中に見た、
これが日本の女の武士道だと賞讃したくなるような、幸福な気持ちが一転して、
たまたま開かれた本の演劇論の中で、ストリンベルクが非難するところの、演技の型(マニイル)と重なりあって、それまでの満ち足りた感情が、いっぺんに吹き飛んでしまった、、という話。

日本と米国との懸け橋としての役を自負する、教養も知性もじゅうぶんの長谷川謹造先生(新渡戸稲造)であるが、日常生活で あり得ないような偶然の出来事の中で、
「武士道」か、「演技の型、マニイル」か、との間で平穏な心を乱される、という設定だ。
芥川龍之介の作品は、型破りでドキッとするような、物語の題材、構成が やはりとても素晴らしいものであると思う。 あり得ないような設定が、酷評を招いたのだろうか。
いずれにしても、この作品は奥がもっと深いようで、私には十分な理解はとても無理だ。

――俳優が最も普通なる感情に対して、或一つの恰好な表現法を発見し、この方法によつて成功を贏(か)ち得る時、彼は時宜(じぎ)に適すると適せざるとを問はず、一面にはそれが楽である所から、又一面には、それによつて成功する所から、動(やや)もすればこの手段に赴かんとする。しかし夫(それ)が即ち型(マニイル)なのである。……

と、いう箇所がある。 演技の型(マニイル)!!

朝倉資料館の水野氏が不満を持ったという、俳優さんの震えるような仕草の演技、
これは、西洋式に言うなら、演技のことを多少なりとも勉強した人なら誰でも使う、ひとつのマニイルであったかもしれない。

西洋の、気持ちをあらわにしたような演技について、
かつて 武生の先生から、何度となく聞いたことがある。
例えば、有名な、「道」というイタリア映画がある。 最後の場面で、主人公の大男ザンパノが、
海辺にて、いつもそばにいた女の存在の大きさにやっと気がついて、男泣きするシーンがある。
それは、やはり、「臭い」演技なのだと言われた。
いわゆる、大男の大泣きするという一つの演技よりも、
先生なら、そう、逆に、泣きたいところをグッとこらえて、立っている、、このほうが、
よほど感情が伝わってきて、ザンパノの人間像を描くことが出来るのではないか、、と言われたことを
思い出される。 どちらも一つのマニイルなのだろう。

ただし、日本においては、新渡戸稲造が重要視した、古来からの「武士道」という美学がある。
最近は、いい意味でも悪い意味でも、すっかり西洋と一緒になってしまったが、
つい最近まで、日本人は感情をあらわにしないので、何を考えているのかわからない、といったことを
一般の人々についてもよく言われたものだ。 口で言わなくとも、腹の中を察せよ、とか、
演技の中でも「腹芸」なるものが確かにあったと思う。
別に、演技のマニイルでなくとも、西洋人が理解できないような美学がもともと日本にはある。

「臭い」演技、という言葉、今もよく使われているけれど、
新渡戸稲造のころにすでに、演劇の分野にて、学問的に使われていた言葉なんだなあ、、と、
どうでもよいことが思われた。                                
                                              職人K

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2009.06.26 (Fri)

職人М、専門家ブログにデビュー

                                    職人M、いいメガネ、、2

このたび、産経新聞のデジタルサイトより投稿依頼があり、専門家ブログにおいて、
職人Мの、「丸めがねをつくる」ブログがスタートしました。
だいたい1週間に1度くらいの更新と聞いています。

産経デジタルサイト、専門家ブログ、イザ!はコチラその中の、職人Мブログ 「丸めがねをつくる」 です。

職人Мによる、メガネ作りの周辺、そんなブログになると思います。
ぜひ、お気に入りサイトに仲間入りさせていただきますように、
どうぞ よろしくお願い申し上げます。

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2009.06.25 (Thu)

芥川l龍之介、「手巾」 Ⅰ

                                           新渡戸稲造2
                             (こちらも丸メガネ、、、  5千円札の新渡戸稲造)

芥川龍之介の短編の中に、「手巾(ハンカチ)」という作品がある。
1916年に発表されたもの。 初期に発表された作品であるが、酷評もされたという作品。

テレビや映画など、また演劇作品における、俳優の演技ということについて、
私は、ずいぶん昔に 武生の先生から聞いた、この「手巾」の話が思い出されてくる。
作品の中に出てくる、長谷川謹造先生は、新渡戸稲造がモデルとされている。

                                          
東京帝国法科大学教授、長谷川謹造先生は、日本的な美しい岐阜ちょうちんを時々見やりながら、
籐椅子にもたれて、西洋の演劇についての本を読んでいる。

ちょうどその時、来客の意を告げられ、読書を中断、
学生の母である、西山篤子夫人に会って話を聞くことになる。

聞けば、病に伏していた西山憲一郎君は良くなるどころか、亡くなってしまったという。
闘病生活中のことやら、生前中のお礼やら、穏やかな笑みをも含む表情で、この母は、淡々とそれらを語る。 その婦人の様子に、先生は不思議でならなかった。
ついこの前、最愛の息子を亡くした母とはとうてい思えないほど、ひどく平静で落ち着いていたからだ。

何かのはずみで、先生の団扇(うちわ)が床に落ちた。
思わず、かがんで下に落ちた団扇を拾い上げようとしたその時、先生は偶然にも、ある光景を見てしまうことになる。 テーブルの下に見える、膝の上の婦人の激しく震える手と、その手の動きを何とか抑えようと、手巾を両手で裂かないばかりに強くにぎりしめている、、、
その様子は、テーブルの上の、穏やかな夫人の表情とはまるで違うものであった。
婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさつきから、全身で泣いていたのである。

以下は原文より。

――団扇を拾つて、顔をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔(けいけん)な心もちと、さう云ふ心もちの意識から来る或満足とが、多少の芝居気で、誇張されたやうな、甚(はなはだ)、複雑な表情である。
 ――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
 先生は、眩(まぶ)しいものでも見るやうに、稍(やや)、大仰(おほぎやう)に、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた声でかう云つた。
 ――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
 婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。―― 
                                              (続く)
    丸メガネ、gold
    tomorrow classic 、WHITE GOLD(白っぽいgold)              職人K

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2009.06.24 (Wed)

一乗谷朝倉氏遺跡から

                             あさくら
                              一乗谷朝倉氏遺跡全景、 YAMADA氏HPより

6月に入った第一週、天皇陛下御夫妻が福井県にお見えになった。
全国植樹祭式典に御出席のため。
場所は、戦国武将の朝倉氏の本拠地のあった一乗谷朝倉氏遺跡のあるところ。 
足羽川支流の下流にある一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要塞という地形になっている。 朝倉氏本館、武家屋敷、寺院、町人や職人の住居が計画的に配置された、当時 全国で有数の城下町として知られていたようだ。
応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたため
一乗谷は飛躍的に発展し、華やかな京文化が開花した。
このため、当時、北ノ京とも呼ばれたほどだという。

現在も残る、その礎石あとは、当時の屋敷跡がしのばれる。
三方を美しい山々に囲まれて、植樹祭のセレモニーにはぴったりの場所。
ただし、この美しい歴史的文化財である一条谷流域も、
平成16年の夏は、福井県北部一帯を襲った豪雨のため、濁流にのまれた。
もちろん この遺跡のかなりの部分が泥水につかった。 多くの人の尽力で再び元の美しい姿に戻ったが、人々の心にも大きな傷跡を残した。 あれから5年、少しは癒えただろうか。
(梅雨時の大雨は、あの日の豪雨が思い出されて、今でも時々恐ろしくなる。(>_<) )

植樹祭式典のその日にそなえて、
何か月まえからものリハーサルなど、聞けば、関係者の人は大変な御苦労であったようだが、
復興したこの地で、ともあれ、無事、晴天のうちに終了したことは、本当に喜ばしいことだった。

たまたまある機関紙で、その一乗谷城当主、朝倉義景公を演ずる役者の演技について論じられている、とても興味深い記事のことが思い出されてきた。 書き手は 現、一乗谷朝倉氏遺跡資料館、館長の水野和雄氏。 水野氏は、朝倉氏研究の第一人者、歴史学者だ。
水野氏によると、戦国時代を舞台とした、あるテレビドラマの中での、ある俳優が演ずる朝倉氏の演技について、非常な不満があったという。 実際、製作者あてに異議申し立てもされたらしい。
それは、武将の最期(?)の姿についてだった。 
俳優演ずる朝倉義景は、憤まんやるかたなく無念であるのか、その心の内情をあらわすためかもしれないが、ブルブル震えての最期の時を迎えた演出であったようである。
水野氏によると、生まれたときから 帝王学を身につけている武将にて、
そんな姿であるはずがなく、たとえそんな事態に置かれても、震えるどころか、
逆に、非常に落ち着いた、すべてを覚悟した最も心の平静な姿であるはず、、といった内容だったと記憶している。

テレビや映画において、歴史ものは史実に忠実であることはもちろんだけれど、
人物像や生きざまの描き方については、ある程度、脚本家の自由となっていると思う。
逆に、生き生きとした、豊かで逞しい想像力、イメージがなければ、生きざまなど描くことなど出来やしないと思われる。 ストーリーを展開していく上で、多少の誇張や強調はあるかもしれない。
ただし、今回のような指摘は、
歴史を描く際の、脚本家の、必要最低限の、重要な時代考証の一つなのかもしれない。
安易に現代の人に置き換えて、現代人のココロでもって、同じように表現してしまうと、
良かれと思っての演技が、とんでもなく安っぽい、また肝心の事実と遠くかけはなれたものに仕上がってしまうことがあるかもしれない。
歴史ものの映画やドラマ作品は、なかなか描く側も、細かい演技など、とても難しいものだとつくづく思われた。

                                                   職人K
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2009.06.22 (Mon)

梅雨のころに熟するもの

紅さし梅
                  福井の品種、「べにさし」梅

梅の実がちょうど熟する頃の雨期。
梅雨の語源は、その梅からきているという説もある。
こちら福井県は、海からの暖かな陽差しや風を受けて、海に面する三方や河野の海岸で、
ウメの栽培が昔から行われている。

これは、南越前町(旧、河野村)で生産されている、紅差し(紅映、べにさし)という品種の梅。
その名のとおり、うっすらと紅がさした、大きな宝石のような芸術品。 
緑の色に赤色がかかって、その赤は濃いものも薄いものもある。
福井梅のいちばんの品種となっている。
ちょうど今、2月に美しい花を咲かせた友人の梅園でも、収穫のまっ最中である。 

                                                  職人K
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2009.06.21 (Sun)

art gallery 、一雨降って

空に向かって、笹
              家の軒先を超えて大きく伸びた、今年の新しい笹竹

空に向かって、2
         こちらも大きく背丈を伸ばした、ウイキョウの花(ハーブの一種)

久しぶりのまとまった雨が昨晩あった。 植物は一気に息を吹き返した感じがする。
蒸し暑い梅雨の陽気は人間は苦手だが、植物にとっては、
大きく成長するために必要な、大変重要な条件だと思われる。
                                            
                                                 職人K

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2009.06.20 (Sat)

極太丸めがね、チタングレー2色

チタンシルバー
                             チタンライトグレー色

ひきつづき、こんどのチタン板削り出し極太丸メガネの定番色、グレー系も2色です。
温かみのあるブラウン系色と違って、こちらはモノトーンの単色。
現代を象徴するようなメカニックな無機質感、金属イメージをも表現できると思います。
また、そんなクールな無機質感と、柔らかみのある暖かなフォルムとの両者が相まって、
不思議なハーモニイーを奏でているのが魅力的ではないでしょうか?
素材を生かした色調は、グレー、こちらも塗装ではなく、IPメッキ仕様となっています。

チタンシルバーとチタングレー
          左、チタンライトグレー色  右、チタンダークグレー色 

いろいろなシーンで、違った表情を、またいろいろな組み合わせをお楽しみください。 

   * 左欄のobjet optique-MASAから、ホームページも一度ご覧下さい。
      職人Мの製品へのコンセプトなど、新しく説明しています。  (^u^)              

         
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2009.06.19 (Fri)

極太丸めがね、チタンライトブラウン色

チタンブラウン、丸
                  明るいほうのライトブラウンカラー

すでに御紹介している、チタン板削り出しの極太丸メガネですが、
定番のカラーがそろいつつあります。 定番は5色展開。
そのほか、お好みの色を御要望に応じれるようになっていますが、
これから順次、御紹介させていただく予定です。
今回は、ヤマ幅が2サイズの、50枚限定品。

くわしくは、ホームページでも新しく紹介していますので、ぜひ一度ご覧下さいますように。
(職人Мのコンセプトなど、説明しています)
価格やサイズなど詳細については、メール等にて、お問い合わせください。


ブラウン系は2色。ライトブラウンとダークブラウン。(写真はいずれもライトブラウン色)
このブラウンの2色とも、塗装ではなく、色のハガレにくい、IPメッキ仕様となっています。

                  チタンブラウンとタロウ
                  なかなか GOODな感じ、、、
                  もう一つの削り出し枠、カプトンとも少し違う印象だなぁ、、
                  こんな太枠、なかなか見たことないと思うけれど、、

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2009.06.17 (Wed)

梅雨前のひととき Ⅱ

                 落ちた柿の実

                 今日も雨は降らなかった。 今年は雨が少ないのかなぁ、、
                 お花みたいなものが、落ちているけど、これは柿の実の赤ちゃんだな、、
                 さては虫にやられたのかな、、と、いうことは、、、
                 この上には柿の木が、、、

EDIT  |  21:38  |  日記  |  Top↑
2009.06.16 (Tue)

梅雨前のひととき

昆虫タロウ2

そろそろ、梅雨の季節。 このところ、各地でゲリラ降雨なるものが降っていると聞くけれど、
こちら北陸は晴れの天気が続いていて雨は少ない。 それにとても涼しい風が吹いている。
今だけかな。 ひどい雨もいやだな。 そんな雨は水不足の瀬戸内海に降ってほしいなぁ。
梅雨に入ったら、おいらもなかなか自由に動けないし、今のうちに庭を一回りしておこうっと。

EDIT  |  23:31  |  日記  |  Top↑
2009.06.14 (Sun)

冠山(1256.6m)に登頂

冠山、岐阜側より望む

今日は、福井県と岐阜県にまたがる、奥美濃の岩山、冠山(1256.6m)に登頂。
3人の岳人に何とかついて行き、何年ぶりかの久しぶりの登頂に、達成感を味わうことができた。
ここは、揖斐川の源流のあるところ。 福井県側は、池田町。 岐阜側は、揖斐川町となっている。
国道417号線にある冠山峠から望むその姿は、その名のとおり、見事なほどのカンムリの形。 
頂上の真下にある冠平では、わずかではあるけれど、咲き始めたばかりのニッコウキスゲや、
高山植物のコバイケイソウの花が私たちを出迎えてくれた。
高速道路が休日に安くなったせいか、頂上付近でも、遠くの県外からの人が多かったのにはびっくり。 
同行の人ともいろんな話が出来て、久しぶりに非日常的な休日を過ごすことで、
心身ともにおおいにリフレッシュすることが出来たことに感謝したいと思った。

                                                   職人K

ニッコウキスゲ
                              ニッコウキスゲの花
冠山1
                       福井県側から見た、冠山の頂上

 冠平 岐阜側の稜線
 ウツギの花 ナナカマドの花

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2009.06.13 (Sat)

細リムの丸メガネ tomorrow classic、黒

黒、tomorrow classic

細いリムの丸メガネ、tomorrow classic の「黒」です。
今回も、先日の極太丸メガネと同じ、IPブラックの黒をつけてみました。
丸メガネの中でも、今回は細リムタイプを御用命いただきました。
知的な、大学という空間で、この丸メガネがぴったりマッチして、お役に立ちますように、、。

以前にも、御紹介させていただきましたが、
大学という学問の場で、昔から、丸メガネは、必需品のように、深い関係があります。

そして、丸メガネは、professor御用達のメガネとなっています。
たくさんの著書で御活躍、この丸メガネをかけて、ファンである多くの読者に、
サインなど書いていただきたいと願っています。

こちらでは、メガネの出来上がりを記念して、まず、tomorrow classic、職人Мのサイン。 (^^ゞ

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2009.06.12 (Fri)

12角形の丸メガネです。

多角形の丸メガネ

「多角形の丸メガネが出来ないかなぁ、、」 との提案から、今回の丸メガネが出来ました。
なんと、12角形の丸メガネです。 
「うーん、意外に、なかなかいい感じ。」 と、職人М。 (会心の作となりましたかな。(^u^))
12角の直線の折れる角度が、アクセントとなって、同じ丸でも、
何か素敵な雰囲気を出してくれますね。 知的な面白さも感じます。

今回は、アンティック・ゴールド色をつけてみましたが、
カラフルな色をつけて、女性用にもいいのではないでしょうか?
また全然違う、いくとおりもの表情を、カラーによって表現出来そうです。
どんどんイメージが広がります。

あなた好みの、As you like、
素敵な色の組合わせがありましたら、どうか御提案下さいますように。

                     tomorrow classicって書いてあるぞ
                        ふーん、tomorrow classicって書いてあるぞ、、

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2009.06.11 (Thu)

サツキ(皐月)の花

サツキ、a
                       原種の花はピンク?

サツキの花が美しい季節となった。 同じツツジ科でも、ツツジより、約1か月遅れて花が咲く。
花はやや小ぶりで、あちこちの玄関先では、盆栽仕立ての自慢の鉢植えのサツキが見られるようになる。 江戸時代からある古花から、今日に至るまで、数多くの園芸種が作られてきたという。 
まさに花の芸術品。
旧暦の皐月の頃に咲くために、漢字では「皐月」と書くようだ。

岐阜の友人の住所も、「皐ヶ丘」と書く。郵便物の宛先を書くとき、
この「皐」という字がなかなか書けないから、いつも平仮名で書いてしまう。
そういえば、その街の街路樹の下、石造りの間の植え込みは、サツキの花ばかり。 
その地の名前の由来がわかる。 今頃は、街じゅうが皐月の花でいっぱいになっているはずだ。

我が家のサツキもあちこちと咲き始めてきて、今、満開。
一般的なものは、やはり原種のピンクや赤色のものであると思う。
その他 微妙な色合いの混じりのもの、、また形もいろいろな種類がある。

近くを散歩したら、花、花、花、、とやたら花だらけの株があった。
よほど栄養や手入れが良いのか、過ぎるほど咲いているのに、ただただ驚き。 
過ぎたるは、、といった具合で、花がなんとも多過ぎる。 暑苦しいほど、我も我もと咲いている。
見事といえば見事だけれど、こんな時、
千利休だったら、人を迎えるとしたら どのようにするのだろう。
一つ残して、あとは摘み取るか、、などと、どうでもよいことを思ってみたりした。
また、反対にさびしいほどまばらに咲いている株もある。
こちらのほうは、花は希少価値だ。 少子化の、これからの日本のようか、、
皐月の花にも、咲き年、ウラ年があるのだろうか、そんなことを思いながら
いろんなサツキの花を眺めて見た。                         
                                           職人K


       さつき2  さつき5

       さつき4  さつき3


 二つのさつきの花、a
                  同じ木に紅白のサツキの花


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2009.06.09 (Tue)

「ほがらかな探究者」

 「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。」
との論語の一節を、南部氏の母校(現、藤島高校)の学生にメッセージとして送っている。
思えば、今年で88歳になられる南部陽一郎氏であるが、その長い研究生活は、
学ぶことと、思考すること、バランスのとれた両者の繰り返しであったと思われる。

南部氏は、こちら福井市の出身。
そういえば、同じ福井の藩士で、かつてもう一人の、海を渡った偉大な先人があった。
日下部太郎(1845-1870)、江戸末期に幕府の留学生として米国のラドガース大学へ入学。
素晴らしい学業成果を修めるも、26歳の若さで惜しくも異国の地で客死した偉才の人物だ。
ひたむきな学業態度や、米国人も驚く抜群な優秀な成績、またそれのみならず、
何事にも誠実で,礼節正しく,快活な太郎の人柄は、遠い米国でも後世に伝えられているという。
(大学横には、「大日本越前日下部太郎墓」と日本語表記された立派な墓碑があるという。)
そして、後に福井藩にて物理、化学を教えることになるグリフィスの来日は、その時の出会いによるもの。 そのつながりは、両市の友好となって、今日まで続いている。

南部陽一郎氏は、福井が生んだ二人目の、現代の日下部太郎。 私にはそう思えてならない。 
ノーベル賞受賞の対象となった、「自発的対称性の破れ」は、私にはよくはわからない。
しかしながら、学問の難解さとはうらはらに、
南部氏自身は、とてもユーモア精神にあふれていて、茶目っけたっぷり。
「面白い話をしましょうか、、わっ、はっ、はっ、、」と、笑みの絶えない人であるという。 
そして、温厚でおどろくほどの謙虚さは、実に日本人らしい日本人であるという。

かなりの集中力で思考する学問の一方、かなりの映画通であった一面もちらり。
夕刊に連載されている、辛口評論の「Q」に刺激されて、東京時代の若いころは、映画館にもかなり通ったということだ。
また、50年にわたって親交のある後輩の小柴昌俊氏も、
「あの人は人をからかう名人だよ。」 と、南部氏のユーモアぶりをなつかしがる。 
ひと足先に、小柴氏がノーベル賞受賞後、南部氏から文化勲章受賞のときに送られてきた、
一枚のお祝いのFAXが手元に残されている。
 
        小説家になりたかったんだよ。   ある画材会社の筆記用具のCMをちょっともじって、、
                          「小説家→物理屋」と南部氏が書き換えたもの↓

                                 物理屋になりたかったんだよ。
      受賞のお祝いのFAX (若い頃、研究室で小柴氏がもだえていた、、という意で。)
                                  
またその一方で、「南部先生の論文は気品がある。」 と絶賛するのは、
受賞後のインタビューで、涙ながらに、
「尊敬する南部先生と一緒に受賞できて光栄です。」 と語っていた益川俊英氏。

その南部氏にして、若い人に向けての言葉は、やはり、
「大きい夢を持って、朗らかに生きよう」 とのこと。
すなわち、何ごとも、陽気にいかにゃあ、、ということだろうか。
御自身の名前の一字である、「陽」ということがとても大事なのだろうと思われる。
そして、昨年の、受賞後のインタビューの時の言葉、

 「 何か新しいものが出てくるとしたら、新しい感覚の人が新しい発想で取り組んだとき 」 は、
 
 学問に限らず、あらゆることにも通じているように思われた。
                                                   職人K



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2009.06.07 (Sun)

南部陽一郎、「ほがらかな探究」から

南部陽一郎
              米国シカゴにある、南部陽一郎氏の自宅

1952年、南部陽一郎氏は、世界最高峰の一つに数えられる、米国プリンストン高等研究所に赴く。
物理学の先進地であるアメリカ。 当時の日本は湯川博士のノーベル賞受賞に沸いていたものの、
研究者にとっては、まだ暮らし向きも研究環境も 決して恵まれたものではなかった。
アメリカへ行きたい気持ちが募ったという。

オッペンハイマー所長やアインシュタイン博士など、、超一流の学者の中で、南部氏でさえも、
「友がみな、われより偉くみゆる日よ、、」 の、石川啄木の心境だったという。
1954年からはシカゴ大学へ研究員として赴く。 2年後には助教授、さらに2年後には教授に。
日本から家族も呼び寄せて、1970年には米国籍も取得。
シカゴ大学の学内の雰囲気について、
「まるで天国にきたよう。」 と、南部氏は、当時を振り返る。
「家族的な雰囲気でしたし、セミナーではいい刺激を受けた。」という。 
その「セミナー」は、物理学だけでなく、さまざまな分野の研究者が一堂に会する場で、
議論は刺激的、歳月を経た今日でも、大切な場であるという。
米国籍を取得した理由について、
「日本国籍のままだと、外国の学会に出るときの手続きが面倒だった、、」 と。 また、
「それまでアメリカは家族にも大変良くしてくれた。そのことへの感謝の気持ちもありました。」 
との言葉は、私には、日本人(福井県人)らしい、南部氏の人柄をよく表している理由であると思われる。

                                        司馬遼太郎、アメリカ素描

ずいぶん昔、20年くらい前、司馬遼太郎の「アメリカ素描」という本があった。
米国論と同時に、米国を通した「文化と文明」論。
さすがに偉大な司馬遼太郎だけあって、しばらくの旅行の間で、
すでに当時、今日の米国の姿を予想していることにはあらためて驚かされる。
その一方で、
「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか。」 文明のみであなたOKですという気楽な空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類のどこかにあるのではないか」 とあるように、20世紀には、米国、という文明そのものが、人々の夢と希望として確かにあったことを語っている。 アメリカは、とにかく あらゆる国の多くの人を受け入れた国だ。
南部氏のように優れた人物から、ごく普通の労働者の人々まで、、
多くの人の夢と希望の国であったことだけは確かだったと思う。
21世紀は、(米国という)文明そのものを失う時代となるのかもしれない。        職人K

             
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2009.06.05 (Fri)

「BLACK」色の探究

ほがらかな探究と黒

黒1

今回、新しく採用してみた、IPブラックの黒です。
塗装ではなくて、金属イオンプレイティングのメッキ方式によるBLACK色です。
金属の表面は砂打ち加工がしてありますが、その細かい部分の表情まで正確に出ていて、
明るく輝くようなBLACKとなっています。

これまでのBLACKも光沢があって良いと思うのですが、
梨地の表情がうまく出ませんでした。
今回のBLACK色は、今回の極太丸メガネの表情にピッタリ。
定番の第一番目の色は、やはりBLACK色です。

さて、このたび、福井新聞社から出版された、
昨年のノーベル賞受賞物理学者である、南部陽一郎氏の本。
こちらの装丁も、黒の色です。
恐れ多くも、私たちの極太丸メガネのBLACK色と一緒に並べてみました。
南部氏は、こちら福井の出身。多感な少年時代はこちらで過ごされて、
後々の学者としての御活躍を考えるとき、その基盤となったものが、この福井という土地に、
確かにあったようで、同じ福井人として、おおいに誇りに思います。

南部先生のような立派な方を仰ぎながら、私たちも日々精進していきたいと思います。

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2009.06.03 (Wed)

art gallery 、自転車あれこれ

自転車とメガネ

  こちらは、自転車のサドル博士、

 「 自転車泥棒、の映画かい? あれはなかなか良い映画じゃったよ、、涙が出てきて困ったね、、
   イタリアの映画というのは、やっぱりいいねぇ。 人間臭さにあふれておるよ、、
   それに、イタリアといえば、自転車の本場。 世界的に有名なブランドもたくさんある。
   ミントカラーでおなじみの、ビアンキもそうだねぇ、、、 だれかも乗っておったね、、
   そして、今、自転車もちょっとしたブームになっておる。 
   CO2対策。 これは、自転車にまさるものはないねぇ。
   近場くらいは、これで移動してほしいものじゃよ、、、。                       」

自転車

 「 黄色い自転車か、、いいねぇ、、若い人はこんな自転車にも乗るんだねぇ、」
   そういえば、ずいぶん昔じゃが、、歌の題名にもあったなぁ、、
   「自転車に乗って」って。 フォークソングの流行のハシリだったかね、、、           」

                              取材、 職人K
                             メガネ、 チタン一枚板めがね、カプトンタイプ黒         
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2009.06.02 (Tue)

映画、「自転車泥棒」

自転車泥棒

1948年に公開されたイタリア映画。 第二次世界大戦後のイタリアを舞台に、貧困の中で
親子の生きる姿を描いた作品。 俳優は素人を用いている。 モノクロ作品。

戦後の混乱の中、なかなか職につけなかったアントニオは、職安の紹介で、やっとの思いで
ポスター貼りの仕事を得る。 そのためには、自転車が必要という。 生活のため、質に入れてあった自転車を、妻がベッドのシーツを新たに質に入れることで取り戻す。
やっと職につけて意気揚々としているアントニオ、そんな父親を見て、息子のブルーノも心が躍る。

ところがその初日、ポスター貼りの仕事をしている最中、二人のいるすぐそばで ちょっとしたスキに、大事な自転車を盗まれてしまう。 必死になって男を追いかけるが、わからなくなってしまった。

盗まれた自転車が売りにだされていないか、広場を捜しまわるがみつからない。
そんなとき、その男らしき人物を街で見かける。 またも追いかけるが、見失ってしまう。
やがて、男と一緒にいた老人から、その男の住所を何とか聞き出すが、その老人にも逃げられてしまう。

やっとの思いで、犯人の男の所在を見つけて踏み込むも、自転車はみつからない。
逆に、そこに住む貧民街の人々になじられる始末。 
何とか自転車を取り戻さなくてはならない。思い余って、占いにも見てもらう。
「すぐに出てくるか、みつからないか、どちらかだ。」 と、どうしようもない返事に、何にもならない。

あてもなくサッカーのスタジアムの前に二人座り込んでいると、大勢の観客が乗ってきた中の、
一台の自転車が眼にとまる。 アントニオはブルーノを先に帰らせて、ためらいつつも、
ついに その自転車を盗んでしまう。
ところがすぐに見つかり、みんなに追いかけられて必死で逃げる父親の姿を、
路面電車に乗り遅れたアントニオが見てしまう。

捕まえられ、取り押さえられた父親に駆け寄り、泣きながらしがみつくブルーノ。
その姿を見て、「こんどだけは見逃してやる。」 と、持ち主の男が、アントニオに言い放つ。

弱々しく歩くアントニオ。 次第に涙がこぼれ始める。 父の涙を見たブルーノは、強くアントニオの手を握る。 手をつないだまま、親子は街の雑踏の中を歩いていく。
                                      (Wikipediaより一部抜粋)

当時の世相を背景に、見事に親子の姿を描いてあった。 心理的な描写も素晴らしかった。
今も鮮やかに思い出されてくる。

「今」という時代も、自転車の多く盗まれる時代である。
子どもが学生時代にも、2、3回くらい盗まれている。 そしてすぐに乗り捨てられていたようだ。
この映画のように、盗む側にも必死の事情があるのとは、だいぶ違っている。
どうしてこのような時代になってしまったのだろう。

私たちは物質的に豊さに恵まれる一方で、また かつてない深刻な、精神の荒廃の時代に生きていることを、今、毎日イヤというほど実感しなければならなくなってしまったように思われる。
                                                   職人K

  * この映画の手法は、1940-1950年代に出てきた、「ネオレアリズム」というもので、
    レアリズムの方法で現実社会を描こうというもの。 それまでは、アメリカ映画のように
    セットによる撮影だったが、ドキュメンタリー的撮影手法のロケ撮影で行われている。
    この潮流は、映画だけでなく文学においても見られ、その根本には、新たな社会参加、
    つまり、知識人は歴史的責任を自ら引き受けなければならず、
    人々の要求を代弁しなければならないという考え方が、この時期広まっていたという。 
    「自転車泥棒」は、ネオレアリズムの代表的な名作といわれる。
                                 *ネオレアリズム-新写実主義



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2009.06.01 (Mon)

今日から6月

       アザミ3
                          初夏の光と風をうけて、、    山に咲く野アザミ


今日から6月。 野生のアザミの花が美しい。
昨日、小雨の中、いっせいに行われた河川清掃で、毎年決まって咲き乱れている、堤防に咲くアザミの花は、すっかり刈り倒されてしまったことと思う。 この時期、車で堤防を通り過ぎれば、ひとつの楽しみであったけれど、仕方がない。 それによって、また 来年の咲く環境が準備されることになるのかもしれないから。
 こちらは、近くの山の道脇に咲いている、山の野アザミ。 たくさんはないけれど、ここは、刈り取られる心配もないようだ。 それどころか、毎日ここを歩く人の楽しみとなって、大事にされている。

今年もアッという間に、もう6月にさしかかってしまった。 自然界の移り変わりは、
昨年と何ら変わることなく、繰り返されることにあらためて感心してしまう。
いつもと全く違っているもの、それは、今年の、人間の世界であると思う。

6月1日の今日、ついに米国では、GMが破産法申請の発表があった。
しばらくは国の管理のもと、これからのGMの整理がすすめられるという。
米国の基幹産業の象徴ともいえる自動車産業の破綻、規模では過去最大のものであるという。
これから、じわりじわりとその影響が世界中に、中でも日本への影響が懸念される。
つい先日発表された雇用統計では、日本の4月の完全失業率は5.0%、有効求人倍率は0.46だった。 いずれも、悪化の一方で歯止めがかからないというが、今回のことで、ますます深刻な事態となりそうだ。

もう、だれもが、「経済はね、、」なんて、経済を三人称で語ることは出来なくなってきた。
かちかち山のたぬき、ではないけれど、だれもが自分に火の粉がかかってきて、のんきなことなど
言っていられなくなってきたようだ。

昨年末の、「日本経済はちょっとハチに刺されたような状況」 との大臣発言などは、大きな間違いだったことが、だれの目にも明らかになってきた。 そして、この先も、明日のことがまったくわからないような状態だ。
「失業は万病の元」だそうだ。 失業する人が多くなれば、生活の大変なことはもちろん、人のココロもすさんでくる。 当然、犯罪も多くなってくる。 どうしようもなく、不満がつのる人が多ければ暴動だって起きうる。 どうしたらよいのだろう。 もはや、今の政治に期待する人は多くはいないだろう。
新しい、すぐれた指導者が早く出てきてほしい。

ずいぶん昔に見た、イタリア映画の「自転車泥棒」、が思い出されてくる。
この映画を見たときには、本当につらかった。 主人公をはじめ、家族の気持ちが痛いほど伝わってくる、素晴らしい映画だった。 当時のきびしい世相を反映していたと思うが、その時、
同じようなそんなことが、今、現実のものとして降りかかってくる時代がこようとは、思いもしなかった。
思えば、このようなことは、どんな国でもかつて繰り返されてきたはずなのに、
豊かな時代に慣れきってしまっていたかもしれない。 
子どもの時代には、今ほど便利でモノもあふれるほどはなかったはずであったのに、
そんな昔のことは忘れてしまっていることが多い。
そのかわり、人と人との関係は、今より ずいぶんあたたかだったように思われる。
良いことばかりが思い出されるのだろうか。 そうでもないと思う。

ひとつの時代が終わろうとしているのかもしれない。
農業に従事する人がずいぶん多くなってきているという。 身近な友人の一人もそうだ。 
次に来る時代は、どのようなものになるのだろう。 クルマ、高性能の電化製品、、これからは今より
もっと大事に、また長く何年も使うことを考えるかもしれない。
新たな良い時代が必ず来ることを信じて、いくつかの困難、産みの苦しみも、ある程度覚悟しておかなければならないのだろうと自分に言い聞かせる。
この困難を、互いに助け合いながら、みんなが一緒になって乗り越えなければならない。
自分も含めて、今こそ 日本人は、かつての時代の精神を思い出さなければならないのだろうと思われる今日このごろだ。

       アザミ2
                                     写真、 いずれも職人М

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