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2008.10.31 (Fri)

親というものは、、

親というものは、、、3
親は子のことがいつも心配で、、、


先日、立派な大木を子どもと一緒に見に行った。
その時に、父から聞いたことを思い出して、「親」という字についての意味の話題になった。
「親」という字は、木に立って見ると書くように、子どものことがいつも心配で、高い木に立って
いつも気になって見守っているような存在だという意味の話である。
「へぇー、そうだったの、、なるほどね。」 と話がはずんだ。

しかしながら、この「親]という字の成り立った意味は違っていたようである。
テレビのドラマなどで、今ふうに都合よく取り上げられたりして、間違って伝わってしまったのか、
私の父のように、すっかりそのような意味としてとらえている人が多いと思う。
「親」という字に「立(りつ)」は含まれず、
「親」という字は、右側の「見」が意味のカテゴリーを示し、
左側の[辛+木]は「シン」という字音を表す発音記号で、
もともとの意味は“対象に近づいて見る”ということ。
そこから「近づく」、「近い」、さらに「親しむ」、「親しい」となるという。
さらに「辛」は、鋭いナイフで切った生木を表すもので、「新」という文字と同じ。
「斤」は斧[おの]で、「新」は鋭い刃物で切った切り立ての木、傷が生々しく新しいことを意味する。
それで、身を切られるように身近に接して「見」るということから、「親しい」につながるという。

なるほど、木に立って遠くから見るよりも、
親というものは、もっと身近に、子どもの痛みが親自身の痛みとなるほどの存在なのであった。

いくつになっても、親は親、子は子で、その関係は続く。
自分が親になって子を心配して思うように、
かつて昔も、そして今も、私も子として親に心配されて思われていたのだな、、とつくづく思った。

                                                職人K
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2008.10.30 (Thu)

木の魅力   (高Ⅲ教科書より)

近くの杉2

       木の魅力          小原二郎、「日本人と木」より  (抜粋)

私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきた。だが明治以降それを捨てて、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。それは天然材料よりも人工材料のほうが優れていると信じたからであった。だが、いま明治百年の体験を経て、鉄は万能ではないし、コンクリートは永久的な材料ではないことが、ようやく分かってきた。それが木を見直そうという動きを生んだのであるが、それよりももっと大きな理由は、鉄やコンクリートには人の心をひきつける何かが欠けていることに気がついたからであった。
 木綿や木に囲まれていると、私たちは何か心のなごむのを覚える。それはこれらの材料がかつては生き物であって、その生命のぬくもりが人の肌に、ほのかな体温を伝えてくれるからである。
 一般に、鉄やプラスチックのような材料は、新しいときがいちばん強く、古くなるにつれて弱くなる。機械も同じで、性能は年代とともにほぼ直線的に下がっていく。ところが木はいささか事情が違ってい
るのである。
 今、千三百年たった法隆寺のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とでは、どちらが強いかときかれたら、それは新しいほうさ、と答えるにちがいない。だが、その答えは正しくない。なぜなら、ヒノキは、切られてから二、三百年の間は、強さや剛性がじわじわと増して二、三割も上昇し、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降する。その下がりカーブのところに法隆寺の柱が位置していて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっているからである。つまり、木は切られた時に第一の生を断つが、建築の用材として使われると再び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月を生き続ける力をもっているのである。

  木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違う。それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙な差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段も取り扱いも違っている。例えば、ヒノキの中では木曾産のものが最高級だ、といったような評価である。
 また、木はそれが生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして長持ちするということも、木に詳しい人たちのよく知るところである。これは木のもつ風土性とでもいうべきもので、どこか食べ物
の話に似ている。その土地でとれた素材を使い、伝統の調理法でつくった料理がいちばんうまい、というのと同じような意味あいである。
 ヒノキの属には世界に六つの種があるが、なかでも日本のヒノキは材としての風格が一段と高い。だからこそ白木造りの建築が生まれたのであるが、それは日本という風土の中に置かれたときが最もふさわしく、また性能も発揮する。つきつめていえば、木曾のヒノキは木曾で使われたとき、奈良のヒノキは奈良で使われたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。

 私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼を置くあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきたきらいがあった。だが、自然がつくったものは、木のように原始的で素朴な材料であっても、コンピューターでは解明できない側面をもっているのである。
 自然がこんなにもかけがえのない大切なものだと思われるようになった時代は、かつてなかったにちがいない。「二十世紀は機械文明の時代だが二十一世紀は生物文明に移る」という意見がある。今、私たちにとって大切なのは、科学万能主義の行き過ぎを反省し、生命をもつものの神秘さにもっと目を向けることであろう。木綿や木のよさを見直そうという最近の動きは、そのことを示唆しているように私は思う。
            
            小原二郎 (こはらじろう」、1916年生まれ 農学博士
                             京都帝国大学農学部林学科卒


        ブナと沢グルミ
        石川県、白山チプリ尾根のトチの大木 (緑の葉はサワグルミ)    写真、職人M 

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2008.10.29 (Wed)

クスノキの大木

くすの大木
まるで神の力を感じるかのような枝ぶりのクスノキ      京都市東山区、青蓮院

こちらは、樹齢800年近くという、クスノキの大木。 
京都市東山区、知恩院の下を通る道沿いにあるもの。 
親鸞上人、お手植えの木と伝えられる木。 同じような木が近くや境内にあと5本あり、
最大で高さ26、1メートルもあるという。 
話に聞いていたが、先日、わずかな時間を利用して、見て来ることが出来た。  
大きな幹が堂々と横へもうねるように枝分かれして伸びているその姿は、
そこに何か神の力をも感じられるような、クスの大木である。
このような、立派な木はなかなかお目にかかることが出来ないと思う。

クスの木は、芳香があり、昔から防虫剤としてのショウノウ油を取り出す木であることで知られる。
(また、木にくわしい友人によると、医薬品としてもよく使われたということである。)
そのこととも関係があるのかどうかわからないが、
木について考察するとき、かつては 「クスノキの時代」と言われる時代があるそうだ。
それは、飛鳥時代の仏像についてである。 
飛鳥時代の木の仏像や彫刻部分は、すべてといっていいほど、クスノキでつくられているという。
さらに法隆寺に残されている面も。 この時代のものは、まるで、クスノキを使用するようにと決められているかのように。(天平時代、東大寺の面などは、すべてキリ〈桐〉にかわるというから興味深い。)
そして、天平時代から鎌倉時代にかけての、仏像の多くは、ヒノキが使われている。

その理由が、果たして信仰的な制約によるものか、あるいは刃物の切れ方による技術上の制約によるものかは明らかではないが、南方から伝わった仏像の素材である白檀などの香木の代用材として、我が国では、最初は、クスノキが選ばれたのではないかということである。 
仏教の儀式においては、汗のにおいを消すために、香木は重要な役割を持っているという。
さらに、この時代すでにクスノキの大木が多くあったという記録もあるという。
このことは、小原二郎先生の、「日本人と木の文化」に詳しく書かれてある。
木ひとつについてでも、なかなか興味深い。

ヨーロッパなど欧州の風景を見たとき、はじめて見た「石の文化」の風景にびっくりした。
わが日本ならば、誇るべきは、「木の文化」であると思う。
もう一か所訪ねた知恩院は、NHKの大みそかの行く年くる年での中継でおなじみのところ。
大きな釣鐘が有名だが、入ってすぐの山門の大きな柱も素晴らしい。
ほんのしばらくの時間だったが、あらためて木の文化、木の素晴らしさを再認識した思いがした。
                                                  職人K

                            知恩院外門
                                          京都市、知恩院の山門
                            木の文化
                                         大きな柱、知恩院の山門
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2008.10.27 (Mon)

冷たい雨

雨の中の山ゴボウ
 雨に打たれる、紅葉の山ゴボウ   

今月10月も最後の週に入った。 外は冷たい秋の雨がまだ降り続いている。
これからは、雨のたびに、寒い冬に向かっていくのだなと実感することになると思う。
季節だけなら良いけれど、いっそう厳しい、過酷な冬になりそうだと思われるもの、それは経済だ。
10月に入ってから、荒れに荒れ出した、世界の経済。そして日本の経済。
100年に一度あるかないかという、歴史に記される大波乱なのか。
世界的株安の流れは、どうしようもなく止まらない。

ついに今日は、バブル崩壊後の最安値をあっさり更新して、日経平均株価は7162円となってしまった。 そして、為替市場でも、円は、ドルに対して、またユーロに対しても、いずれもかつてないほどの高値となっている。 たったしばらくの間に、このような値動きはかつてなかった。
株安、円高の実体経済への影響の表れは、すでに自動車業界などに生産調整や人減らしになって
深刻さを浮き彫りにしているが、わがメガネ業界とて同様。
輸出のウエイトがかなりを占めるから、これからこのような急激な円高が、受注面でも深刻さを増してくると思う。 私たちのメガネ作りにもおおいにひびいてくるだろうから不安になってくる。

土、日と金融市場が休みの日だけ、安心していられる。
このまま、ずっと株式の世界的な大暴落と急激な円高が続くのであれば、
いっそのこと、市場が開かれないで、しばらく市場を閉鎖してほしいと思うくらいだ。
それほど、異常な値動きをしていると思う。
上場企業の40パーセントの企業が無借金経営という、こんな素晴らしい日本、その市場は
世界でもめずらしいという。 だからこそ、円高ということになるのかもしれないが、あまりにCRAZYすぎる、東京株式市場。

来月15日に新興国を含めた、緊急経済会議が開かれる予定とのこと、
その時がヤマ場であろうとの専門家の意見がある。
市場のこの早い流れに、間に合うだろうか。
この世界同時株安、恐慌になりかねない金融市場の流れを何としても止めなければならないと思う。

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2008.10.23 (Thu)

名品鑑賞から 〈光悦茶碗と柿〉

たまらぬものなり
本阿弥光悦の赤楽茶碗、乙御前〈おとこぜ〉 個人蔵

柿を見ていたら、思いだしたものがある。
それは、昔、雑誌のあるページでみた、有名な、お茶碗の形だ。
江戸時代の本阿弥光悦の赤楽茶碗、乙御前〈おとこぜ〉という銘のもの。
光悦は、本業の刀剣業の他、茶をよくし、蒔絵、陶芸、書など、多彩なジャンルで才能を発揮した芸術家で、 陶芸のみを行った人とは違う。
それゆえ、既成の概念にとらわれず、自由で型破りのような表現がとても魅力的で、
細川元首相をはじめ、多くの支持があり、ファンがとても多い。

熟した柿が落ちる時、裏をみると、蔕がとれて、くぼみがあるその形は、
普通お茶碗の裏に必ず付いている高台がちょこんとへこんで付いているだけの、
光悦の茶碗のウラがえした形とあまりによく似ているように思われる。

この茶碗のあまりの素晴らしさに感激したのか、
茶碗を入れるための箱書をたのまれた益田鈍翁は、
「たまらぬものなり」と書いたということだ。
その言葉の裏には、たまらなくいいものだ、という意味があるという。

吸い口のシャープなラインと対照的に、丸味を帯びたあたたかみのある底側は、
かなりの高い温度で焼いたとみられる、ひびわれがあっていわゆる失敗作、
それがまた面白さとなって、魅力ある名物の茶碗となっているようだ。

調べてみても、熟した柿と光悦の茶碗を関連つけて説明したものはなかった。
何でも関連してイメージがうかんできて、これは新説になるかもしれないと思った私だが、
どうだろうか? 

「それは、なかなか面白い」 とは、職人М。
                  
                                            職人K

                                     落柿
                                      ヘタがとれて落ちた熟柿

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2008.10.22 (Wed)

秋の風景 Ⅲ〈柿〉

柿1

柿3

我が家はもちろん、街中でもあちこちで 秋の風物詩、赤く色づいた柿の実が多く見られるようになってきた。 
今年は、豊作の年なのか、どこも小粒ながらたくさん実っているように思う。
柿は、もっとも古くから日本人の生活にとけこんだ果樹の一つではないだろうか。
赤く熟した柿も、干し柿も、古くから食用として人々に広く愛されてきたと思う。

先日は、奈良の大きな柿をいただいた。 とってもおいしかった。
奈良は、柿の産地としても有名。 正岡子規の句に、
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 、という有名な句がある。
子規は、柿が大好物だったらしい。 
奈良でなくとも、こちら福井でも、たぶん日本中どこでも、
一般的に、甘柿が家のまわりに何本か植えられたりしていると思う。
そして秋になるとたくさん実をつけて、私たちの口を楽しませてくれる。
自前の柿でも、素朴な甘さがおいしい、秋の味覚だ。

最近では、山の近くでは、クマがこのおいしい柿を食べに来たりするので、
早めに実を収穫してしまうことを勧めている。 クマの目にはいらないように。
最近はクマが人里のすぐ近くまで近づいてくることが多くなってきたようだ。
昔は、台風続きで、エサとなる山の実が少なくなった年にそうだった。 
ところが今では、クマは、
何か、人間のいるところのほうが、山よりもおいしいエサがあるということを覚えてしまったのだろうか。 ゴミなどをあさるようになると本当に困ると思う。

「柿食へど 腹はふくれぬ 山のクマ」 、こちらの詠み人はクマ歌人。

柿の実

柿の実を一つ二つ、手にとってしげしげと見た。
柿といえば、お茶碗の形の一つとして、柿の蔕〈へた〉茶碗というのがあることを思い出した。
職人Мに聞いたら、それをイメージして作ったという自作の茶碗を見せてくれた。
形が今ひとつ違うらしいが、柿渋の色やイメージが伝わってくるようで、なかなか味わいがある。
釉薬の感じも、柿の蔕の色や風合いに似ていると思う。
地味で渋い枯れた感じがとても気に入ってしまった。
吸い口がところどころ切れているのも、枯れた柿の葉の感じがするようで、
かえって面白味があるのではないだろうか。
                                              職人K

                   柿とお茶碗a

                   柿と器1
                    お茶碗のウラ、高台もなかなか味がある   茶碗、職人М
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2008.10.19 (Sun)

変わりゆくもの

紅葉

遠くの高い山々は紅葉が始まっているが、街なかの街路樹の中にも、注意して見ると、
気の早い一部の枝の葉がほんのり赤く紅葉しているのが時々見られる。
木全体としても、紅葉はもうしばらく先だと思うが、木々の葉っぱの中でも、
やはりとびぬけて早熟な葉っぱがあるものと思われる。 人間の世界と同じように。

今年の夏もそうとう暑かった。
それも過ぎてみれば、秋は必ず訪れる。 春夏秋冬をくり返して、
いつのまにか 何年かがあっという間に過ぎていく。 月日が過ぎるのは本当に早い。
そして月日とともに、何もかも 知らず知らずの間に大きく変化してゆく。
世の中も、人も、また人の心持ちもだ。 世の中が変われば、当然、人の心も変わっていく。 
昔の人と、今の人では、その心持ちはずいぶん違っていると思う。
「いつも変わらないのは、遠くに見える山々の形だなぁ、、」 と、職人Мがいつもつぶやく。

先日、後期高齢者医療制度によって、あらたな年齢からまた
年金から保険料が天引きされるその日がきた。
そのことに抗議して、お年寄りの代表が怒り満面で声を荒げて訴えていた。
「我々はイモのジクをかじりながら頑張った世代。 老後にこんな天引きはひどい!」とか、
「年寄りは長生きするな、と言われているようだ!」 との発言。
しかしながら、、聞いていると、考えてしまう。

どうしたらよいのだろうと思う。 これからの若い人の将来はどうだろうか。
日に日に多くなる高齢者に対して、減少する一方の出生率。
だれがこれをささえていくのだろう。 その財源を保険料以外の他から持ってくるとしても、
経済はずっと安定して成長し続けれるだろうか。
高度経済成長の時代には、先がバラ色に思えた国の将来。
月日とともにどんどん事情が変わってくる。 
苦労したからといって、先の将来が必ず報われる、という法則もない。
多くの努力や知恵をもってしても、なかなか万民に理想的な社会というのは実現が難しい。
年金がある程度支払われるだけでも有難い、というような時代が必ず来るだろう。
今、年金がもらえない高齢者だって多くあるはず。
かつての時代もそうだったと思う。

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2008.10.17 (Fri)

秋の風景 Ⅱ(コスモスの花)

コスモス1

コスモス2
                                  写真、職人K

秋の日差しを浴びて見事に咲きそろったコスモスの花、あちらこちらの水田の一角でこのお花畑が見られるようになった。 水田の稲作の転作の作物として、麦や大豆などの作物のほかに、ひまわりやコスモスなど観賞作物も同じく奨励されているらしい。
春のレンゲなどは、そのまま土壌の栄養分としての肥料目的で植え付けが行われているが、
コスモスの場合は、花が終わっても土壌の栄養分にはならないだろうから、鑑賞目的のみだろうか。
それならば、もっと多くの人におおいに見て鑑賞してもらわないことにはその値打ちがない。

秋の休日、ぼーっとしながら、ただ花を見ているだけでもしあわせ気分。
一、二本あるコスモスの花も美しいが、これだけ見事な花畑は逆に圧倒されてしまいそうだ。
いったい何本あるのだろうと思う。
やはり、コスモスの花は群落で観賞する花だろうか。
写真家ならずとも、だれもかれも思わずカメラを取り出したくなってくる。

コスモス、M
                                 一面、コスモスの花
秋の影、M
                               いつの間にか、秋の長い日影
                                          
                                 こちらの写真は、職人М             

                   
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2008.10.15 (Wed)

秋の風景 Ⅰ(ススキと月)

秋の風景、ススキ

秋の風景、ススキと月

秋の風景、月

秋風にススキが揺れて美しい。 ススキは秋の風景には欠かせない。
楚楚とした、淡泊な美しさ、日本的情緒がただよってくる。
夜になれば、お月さまが出て、外から、
「おーい、いいお月さんが出ているぞ。」 と、たまたま散歩から帰宅してきた職人Mの声がする。
「本当?」って、すぐに外へ出てみる。
十五夜、中秋の名月はとっくに過ぎたけれど、
ススキとまん丸の月が、またまた絵になっていい感じ。
そんなことを考えて眺める私はしあわせ気分。
こんな何かと大変な時代に。 ほんのわずかな時間だけど。       職人K
                                          
                                          写真、職人M

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2008.10.14 (Tue)

art gallery めがね、めがね

メガネ布4

メガネ布2

昨日、馴染みのコーヒー屋さんへ久しぶりに行ったら、
私たちにピッタリのものをみつけたのだと、思いもかけないものをプレゼントとしていただきました。
何とメガネの図柄の手ぬぐい。 江戸情緒ただよう日本手ぬぐいの古典的な図柄はおなじみですが、
こんなメガネのデザインのものははじめて。 とってもおしゃれ。
専門のコーヒー豆のみならず、
音楽や芸術への深い教養と理解、またそれらへの鋭い洞察力の持ち主の御主人。 
日常的なものへの関心やセンスも抜群で、多くの支持を得ています。

メガネのデザイン1

こんな素敵な図柄の布をいただいて、私も考えてみました。 PR用ボード。 
ノーベル賞受賞の記者会見の時も、各教授がそれぞれの所属のボードの前に立ってらっしゃいましたね。 あんなボード、あこがれてしまいます。
University of Chicago 、KYOTO university 、NAGOYA university とかです。
こんなのはどうでしょうか?

職人M会見
職人М、自社めがねボードの前で会見。
「えー、Thank you,thank you very much! 皆さん、いつも有難う。」
                                    
                                               夢見る人、職人K

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2008.10.12 (Sun)

秋の野の花

秋の花1

秋の花2

秋空に向かって咲く、背の高い秋の野の花、近づいて見たら 私の背の丈ほどはある。
全体の葉の緑に対して、まばらにつけている黄色の花。 
遠くから眺めても、近くから見ても、野趣があって素晴らしい。
私は花屋さんに売っている、大事に栽培された花よりも、どこからとんできたかわからないような種子から育って、ひっそりと咲く、あるいは堂々とダイナミックに咲く、山野の花のほうが好きだ。

昨年にしたがえば、この空き地の野の花も、やがては草刈りが入って、もうしばらくの命。
その前に、何本かいただいて帰ることにした。
家に持ち帰って器に生けてみたら、玄関の空間に、野の花の勢いがはいってきた。
しばらくは、この花を眺めて、野趣を楽しむことができる。
早速、職人Мも出てきて、撮影会となった。

    秋の花5,職人M

    秋の花4,職人M
                                          こちらの写真は、職人М
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2008.10.10 (Fri)

アメリカ型金融の大崩壊

夜の国道8号線
夜の国道8号線 原油が高騰してから高速を避けて一般道を走る大型トラックが目立ってきた。
その原油価格も最近は下落が続いているが、実体経済の先行きの新たな心配が出てきた。


この一週間の、世界同時株安はものすごい、ケタはずれの、今までにないような下落だった。
NYSEでは一日で777ドルも下落、その後も下げが止まらない。 昨日は678ドルも下がった。
欧州も、アジアも、どこもかもがそろって世界中が大幅な下落。
東京株式市場もあっという間に10000円を割り込み、8200円前後まで下がった。
昨日、欧州で協調していっせいに利下げの発表があったが、その効果もあまりなかった。
東京は今日はまたまた1000円も大暴落。 あおりで倒産する生保会社まで出た。
10日のG7の開催を前に、よほどのことが決定、発表されないかぎり、市場はまた大暴落だぞ、と
語っているような、今日の市場。 市場は、本当に、目にみえない「生きもの」、のようである。
もはや 人の力の及ぶところでないものなのか。

今回の米国から始まった、金融混乱は、1929年の大恐慌と並んで、
今後、教科書に記されて残るような大きなものだろうと思う。 恐慌とやはり呼ぶのだろうか。
米国や英国から生み出された、ふくらみにふくらんだ、巨大なマネーを取り込んだ金融のシステム。
儲けが格段に大きい、このレバレッジ金融型のシステムそのものが崩壊しようとしている。
それをささえてきた投資銀行が行き詰まり、その多くが消えようとしているのだから。
ヘッジファンドすらも、金融システムそのものの崩壊のリスクまでは想定していなかったようだ。

現在の金融システムの裏に潜んでいた、大規模なリスクの実体が露呈され、世界に大きく知らしめ、恐怖におとし入れることになった、今回の米国初の金融危機。
ここ20年続いた、金融のビジネスモデル自体がもう終焉の時であり、今後は、
銀行は、従来型の、顧客との信頼関係や、運用の効率化、成長しそうな市場への参入といった、昔ながらの本来の銀行業務に戻るべきである、、と、銀行業界内からすでに、そんな声明があるという。


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2008.10.07 (Tue)

ノーベル賞に3人の日本人ニュースから

今日の夜、今年のノーベル物理学賞は3人の日本人というニュースが入ってきた。
小林誠名誉教授(64)と益川敏英京都大名誉教授(68)、米シカゴ大の南部陽一郎(87)の3氏。 そのうちの一人、南部陽一郎氏は、わが福井県出身。
自発的対称性の破れ、カラーによる強い力の解釈、ひも理論などいくつも重要な概念を提唱してきて、素粒子物理学への貢献が受賞理由という。

日本の物理学は、湯川秀樹、朝永振一郎らによって、日本から世界へ打ってでようとしていた矢先に,第二次世界大戦が勃発した。 研究は中断させられ,戦争が終わっても,とても落ち着いて研究できるような状況ではなかったが,学者たちは辛抱強く研究を続けたという。
同じ窮乏生活を学生として体験したという、南部陽一郎氏は87歳。

難しい内容はよくわからないが、連日、経済の先行き不安や暗いニュースばかりが報じられる中、
私たち日本人が大いに誇りを感じさせてもらえる、とても明るい、うれしい大ニュースだ。
小柴昌俊、田中耕一氏から6年ぶりの受賞になる。
6年前の小柴、田中両氏のときも 本当に日本中が喜びにわいた。

今年の夏聞いた、藤原正彦氏の講演で、
国土も狭く、資源も何もない、わが日本において、世界に生き残っていくためには、ダントツの頭脳、すなわち、学問や教育の重要性を説いていたが、まさにそうだと思う。 そして今回のノーベル賞受賞のような功績は、私たち日本人に、大きな誇りと勇気を与えてくれると思う。


先日、京都大学時計台記念館で開催された企画展、「アフリカ、南極、ヒマラヤ」を見学してきた。
京都大学には、湯川秀樹博士をはじめ、多くのノーベル賞受賞者を輩出している。 
京都大学は、歴史と伝統ある学問の一方、
自由と自主を重んじる学風のもと、フィールドワークという独特な研究スタイルによって「探検大学」の伝統も築き上げてきたようだ。

  展示1
                                    アフリカ探検の今西錦司
  展示2
                                    南極越冬の西堀栄三郎
  展示3
                                    チョゴリザ登頂の桑原武夫


今から半世紀前、1958年、最初のアフリカ探検で第一次ゴリラ学術調査をおこなった今西錦司。
(これは今日のチンパンジーの研究に続いている。)
同じ年、西堀栄三郎が率いる第一次南極越冬隊による初の観測。
(南極での機械の故障に、氷のボルトで応急処置、前進を続けたというエピソードには、さすがと恐れ入る。)
また桑原武夫が隊長をつとめた京都大学学士山岳会隊によるヒマラヤ・カラコルムのチョゴリザ初登頂の成功。 そのどれらも、本などで私もいくらか知っている。
京都大学の先人たちの偉業をたたえると共に、これからの新たな学問の領域の創出の出発点としたい、とあった。
かねて、京都碩学の人として、職人Мとともに注目してきた3氏のなつかしい写真や記録など見学して、再び、記憶や学問への思いなどを またあらたにして帰ってきた。

私たち一般人には、なかなか敷居が高く感じてしまう京都大学の時計台記念館であるが、
京都大学博物館と並んで、一度は、訪ねて見学してきたいところ。 
多くの偉大な先人の業績が説明されていて、よくわかるところだと思う。

〈 時計台記念館には、オリジナルグッズ商品の中に、先人の知性や学問が象徴されるような、
  当社の丸メガネも一枚展示されています。 こちらは、オリジナル限定品としてのみ。 〉 

 丸メガネ
                                              
                                                    職人K

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2008.10.05 (Sun)

全国的に秋の雨

今日は全国的に雨模様に。 秋の花である萩の花もそろそろ終わり。
冷たい秋の雨に打たれれば、いっそう花が散り落ちるようだ。 
日の落ちるのも早くなって、やがて本格的な秋、紅葉の秋へとだんだん向かっていくのかと思うと、
何か もの悲しく思われてくる。                              職人K

京都の萩2

萩の花4
朽ちかけた古い土塀の横に植えられた見事な萩 〈いずれも京都市左京区〉

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2008.10.03 (Fri)

art gallery 雑草の生い茂る風景

草b

雑草f

実りの秋、というけれど こちらは稗〈ヒエ〉の一種?のような雑草の生い茂る休耕田。
雑草にとってもやはり実りの風景か、と思われる。
思わず、うわぁーと声を出してしまいそうな風景に圧倒される。

ただただ人間が手を加えないだけで、かくも見事に繁殖、わが世の春を謳歌しているものだわ、、、
と逆に感心してしまう。 稲や麦など、種まきしても ほったらかしなら、
こんなに見事にまんべんなく隅々まで一様に育てることは出来ないだろうと思う。 
雑草は強い、とつくづく思われる。
秋風に吹かれて、右に左に穂を向けながら、それぞれの穂が生き生きとして楽しんでいるようである。

その一方、見方を変えて眺めると、はびこった悪の存在のようにも思われる。
また一方、何がなんだかわからないような世界、「混沌」という言葉があてはるような風景だ。
まるで米国のバブル化した金融界の混乱のように。
                                          職人K
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2008.10.01 (Wed)

中島敦の人物像から

中島敦

33歳の若さで夭折した天才作家、中島敦〈1909-1942〉はどんな素顔だったのだろうか。
東京帝国大学を抜群の成績で出たという中島は、やはり当時のインテリがそうだったように、
強度の近眼の、やや大きめな丸メガネをかけていた。
将棋にこれば一夏で江戸時代の棋士の全棋譜を読みあげ、音楽にこればたちまち交響曲のスコアを読み通してしまうという、とことん熱中する凝り性の秀才奇人の一面もあったという。

この稀代のすぐれたる作家も、世の中に認められて、作品集がようやく刊行されたのは、亡くなる最後の年で、ちょっとおそすぎた感があり、残念に思われる。
中島は早くから作家志望で、自分の書いたものを読んでもらうため、当時6歳年上のすでに世に出ていた深田久弥のもとをたびたび訪れている。 けれど、売り出し中の深田は作家であって、評者ではなかった。 持ち込まれた原稿を読んで評論するというのは、一種の精神的負担であったようである。

最後に深田を訪ねて原稿を託した時にも、中島は役人として南洋への出発が決まっていて、
今の自分のすべてを投入した作品を見てもらおうという、それなりの思いがあったようだ。
しかしながら、深田は例によって、名刺の走り書きにだけ目をとめて、原稿は棚の上に置かれたままになってしまって、すぐに開かれることはなかった。 
その時の作品は、古典を題材にした、山月記を含む6つの短編だったという。

後には、芥川賞にじゅうぶん値する作家として、多くの称賛を浴びることになるが、そのまま作家としての生涯が永かったならば、もっと多くの作品がこの世に生み出されたのではないかと惜しまれる。 あとで原稿を読み了って、「歎息に似た感歎の声をもらした」という深田久弥。
最後の題名無しの作品は、深田によって「李陵」と作品名がつけられた。

作品の多くは、一言でいえば、「失意」コンプレックスであるといわれる。
作品の中で、それが題材となって見事に表現、文学的に完成されて美しい作品となっている。
中島敦自身から来るものなのか、才能と世の中の評価との矛盾に対する切ない思いというのが伝わってくるようである。
(失意を感じるのも、その若さでは、早過ぎはしないかとも思われるが。) 

人が虎になる「山月記」の中では、
虎となった李徴が、山の頂で、月に向かって苦しみを吐露するように吠える。 また、
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」 と嘆く言葉は、
中島敦の生涯と重なって、読む人に 哀しみとなってひしひしと伝わってくるように思われる。  
                                            職人K

                           丸メガネ、バネチョウバン付き
                           文人の丸メガネ (現代、tsujioka handmadeframe)
                           〈*このメガネはテンプルがバネ式になっていて、
                             広い顔にもフイットするようになっています。〉                          
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