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2008.06.23 (Mon)

野口英世  Ⅳ

磐梯山

吾が霊は 野口英世を生みたりと語るが如し 磐梯山は、 と
仙台出身の詩人、土井晩翠が詠んでいる。 
(近代日本を代表する詩人、[荒城の月]の歌詞は土井晩翠である。)

福島の若松に近い、磐梯山は1800mに満たない山であるけれど、その堂々とした裾野の広い雄姿は、見る人を圧倒するという。 今は休火山であるが、今から120年前の1888年(明治21年)、大音響とともに大爆発を起こした。 多くの家々の壁が落ち、倒壊して、また流れ出た溶岩が麓の村を押し倒し、多くの人の命を奪ったという。
こんどの、宮城福島内陸地震も大きな被害であるが、その近く、当時の、その山の大噴火もかなりのものだったようである。

そのとき、野口博士も、大噴火を目の前に経験した。そして、野口自身も あたかも心の中も大噴火があったごとく、大きく変わっていったという。 かくれた天才がそろそろ頭角をあらわし始めてきたという。 そのとき13歳、野口清作と呼ばれていた頃である。
あとになって、野口英世と改名したいきさつは、次のとおり。

野口清作が、ある日、何気なく読んだ、坪内逍遥の小説、「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)」
の中で、田舎出の医学生が、悪い場所に遊びに行き、だんだんと堕落していくという筋の小説であるが、その医学生の名前が、なんと野々口精作だったという。周囲から、実際のモデルだと誤解されては大変と考え、改名したという。 英世、という名前は恩師、小林先生によるものらしい。

のちに、毒蛇の毒や、黄熱病の研究にも、何ごとも恐れなかった野口博士であるが、
このようなことには、一般の人のように、非常に気にしたということが、とても興味深く思われる。

後年、野口博士が生存中に、自分について書かれてある伝記を読んで、こう言ったという。
私は決してこんな立派な人間じゃない。神でない以上、人間は完全なはずがない。日本人は何故、
有名になると、このようにほめたたえて、すぐ完全な人間にしたがるのだろう、と。
 そう、堂々とした磐梯山を朝に夕に眺め、また育てられた、大偉人、野口博士であるが、
清作少年のころはもちろん、その後も青年時代は、多くの人と同じように、欠点も弱いところもおおいにある、一人の人間であったようである。                           職人K

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