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2008.03.31 (Mon)

桜の花のある風景

京都、妙顕寺の桜

お彼岸はもうとっくに過ぎてしまったのだけれど、
昨日、久しぶりに 遠く血縁の人が眠る、お寺をたずねてお参りをしてきた。
ちょうど正面の勅使門の横には 枝垂桜の花が咲いていて美しかった。

父母によると、生まれた時から 家族の中でいちばん 私は このお寺と縁が深いという。
祖母に連れられて幼少の時にここを訪ねたことを今でも覚えている。
30年前、学生時代にも ここにお世話になって過ごした。
住職としての先々代はもちろん、先代も亡くなって もう5年になろうとしている。
思えばやはり桜の美しいころだった。
知らせをうけて 病床にある御前様(そう呼んでいた)のお見舞いにかけつけたことがある。
90歳に近く、弱々しくなられて、久しぶりの涙の対面は、そのまま最期のお別れになってしまった。
お見舞いに持参した、職人Mの自作の茶碗をとても喜んでもらったことが
昨日のことのように思い出される。 職人Mは何回か作陶においてのアドバイスをうけたことがある。

何年か前からは このお寺に、私と一緒に子供も同行することが多くなった。
血縁の人はもうすでにこの世にないが、こうしてまた縁というものは 
心で つながっていくものかもしれないと思った。
先々代は、明治ひとケタ生まれであるのに、英語の達者な、苦学の人だったと聞いている。
今の住職の話によると、越前の人は、昔から 苦学力行の人が多かったとのこと。

   えらく英語の達者な人だ。本山の総代会議でも、ときどき昔風の英語が出てくるし、
  外人観光客がお寺の庭へ迷い込んだりすると、その人は宗祖の徳をたたえた説教を、
  英語で聞かされるだけの覚悟が必要だ。青年時代、東京神田の正則英語学校で、
  3年間みっちり英語を勉強したおかげだろう。
   温情で他人の意見を聞き入れる雅量のある人だが、どんなに気持ちよく付き合っていても、
  相手がうそをいったと分かると、もう、絶対に寄せ付けないという、かたくなな一面ももっている。
  朝は早い。5時に起きて仏様のまわりだけは自分で清掃する。、、、 (昭和32年、寸描 より)

先々代の人物について書いてある、母からもらった、ずいぶん前の新聞の切り抜きを 
今も お守り代わりに大事に持っている。     職人K
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2008.03.29 (Sat)

アインシュタインの成功方程式

アインシュタイン

誕生日に向けて、一足先に バースデイカードをもらった。
偉大なる、アインシュタインから?と思いきや、茶目っ気たっぷりの子供からであった。
今回、アインシュタインの代理人である。
アインシュタインの 人生の成功方程式、というのがあるらしい。
それによると、
  
  A=X+Y+Z
      A は succes in life (人生の成功)
      X は work (仕事)
      Y は play (遊び)
      Z は keeping your mouth shut (沈黙)
   Zは おしゃべりをつつしめということかな、と思ったら 
   thinking time (考える時間)ということらしい。
 
うーん、そうなのかぁ、、、と考えてしまった。
さすがは アインシュタインであると思う。 とても素晴らしい。
この方程式に money (お金)が入っていないのが また素晴らしい。
まわりの人を思いうかべてみた。たとえば、私の父であるが、大正生まれだから もう84歳である。
おかげさまで元気だが、Y、の play (遊び)の項の数値が極端に少ないかもしれない。
そういう意味ではやはり じゅうぶんな、人生の成功というものを得ていないかもしれない。
Z、についてはどうだろう。
哲学者である時間、ということか、、、やはり、おしゃべりばかりしていないで、
じっくり深く考えてみる時間を持つことの重要性を説いていると思う。

毎年、月日の過ぎることの早さにおどろいて ただただ歳を重ねるばかりであるが、
アインシュタインと、贈り主に感謝して、
充実した人生を、たまには少し考えてみなければ、と思った次第である。
  職人K
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2008.03.28 (Fri)

別れと旅立ちの季節

ソメイヨシノの花

3月は別れの季節である。 と同時に、また 新たな旅立ちの季節でもある。
桜の花が咲く風景はとても美しいけれど、
何日か咲いたあと、すぐに散り始めて、花吹雪となって散ってゆく姿はもの哀しい。 
それが 別れの時の情景と重なって いっそう悲しく感じられる時がある。
花が散れば、やがて一斉に あのみずみずしい新緑の季節へと進むのがわかってはいるのだけれど。

県外の大学に行っている子供が、帰省してきた。
あーあ、とため息をついている。 ついこの間、卒業式があったばかり。
この一年、何かと頼りにしてお世話になった、先輩が卒業して行ってしまって、とてもさびしいという。
一人の先輩は机の上に置手紙をして知らない間に、
もう一人の先輩はぎりぎりまでいて、「それでは、さぁ行くか、、、」といつものように研究室を後にして去って行ったとのこと。
聞いていると こちらまで涙がうかんでくる。

「袖すり合うも他生の縁」、と昔からよく言われる。
1年もの間というと、袖がすり合うどころか、とても長い時間の1年である。
しかしながら 過ぎてみれば あっと言う間の一年でもあると思う。
これもまた、何かの縁で、同じ部屋で一緒に勉強することになった、不思議な縁であると思う。
1年間の間、とても良くしてもらったという。 
別れがとても悲しいとは、本人にとってラッキーな縁の一年だったことの証である。
二人の先輩は4月からのそれぞれの分野での職場に行くことになるらしいが、
とても優秀であるから、また新しい環境でとまどうことがあっても、
やがてしっかりと根をおろし、また、おおいに活躍する人となることだろう。
そして、昨年、新入りだった者は 今度は先輩となる。 
また後輩との新しい縁が始まることになる。

新聞でも ここ数日、役所の人事異動、また 教職員の移動が 紙面をうめている。
民間企業でも 移動や新しい人事があって 今日は、知人からも退職の挨拶の電話があった。
定年にはまだ何年かあるのに、突然の人事で 驚いてしまった。
新たな冬時代に突入している金融機関は、
その影響がきびしい現実となってあらわれているようである。
厳しい冬はまだまだ続くようで、春が果たしてくるのかどうかさえ今はわからない。
やがてその影響は、社会全体へと何らかの形で広がっていきそうである。

学校では、卒業式が終われば、またやがて入学式である。
会社では 入社式だ。 全国各地で それらがとり行なわれる。

昨年の今頃を思い出してみた。
はじめて家をはなれて一人、県外に出た子供の、手を振る姿をバックミラーに見ながら、
車の中で一人、だれに遠慮することなく、思いっきり大声をあげて泣きながら運転して、
こちらにもどってきたことが思い出される。
あの時の大原越えはとてもつらかった。

桜の花の咲いては散る、その風景は、この季節の、別れや旅立ちの情景と不思議によく合っている。
職人K
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2008.03.26 (Wed)

art gallery    桜、桜、、

花さかじじい大


さくらの花、さかりなり


毎日、暖かな日が続いている。
やがて日本全国で、桜がいっせいに開花して、桜、桜、、、一色になると思われる。


桜餅は 山桜の印象   職人K      さくらもち


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2008.03.24 (Mon)

横山大観、夜桜

横山大観、夜桜
夜桜                                     横山大観、1930年

毎日の天気予報に 桜の開花情報が取り入れられるようになってきた。
昨日は 京都などまた新たにサクラの開花が報告された所がふえたようだ。
もう少しすれば、全国各地でお花見がくりひろげられることになるだろう。

サクラといえば、横山大観の出世作となった、名作「夜桜」がある。
切手の図柄にも 採用されたことがあったと思う。
この「夜桜」も もとは六曲一双の屏風絵として書かれたものであるらしい。

昭和5年、日本美術院の代表作品として、海をわたって、遠くローマの地で発表、展示されたもの。
そのまま、国の内外にその名を知らしめる、横山大観の出世作となったという。 職人K
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2008.03.23 (Sun)

山桜

山桜、職人M
山桜                               写真、職人M

今日も暖かだった。こちらでも20℃を越えたという。
昨日は 東京などあちこちで 桜の花の開花宣言があった。
こちら福井では、もうちょっとまだ開花は先のようである。
毎朝とまではいかないが、早朝、近くの低山を歩いている、職人Mによると、
山桜は3、4日前からもう咲いているとのことだ。

サクラといえば、一般的には ソメイヨシノをいう。
しかしながら、日本の山々には、ひろく自生している、山桜がある。
春になると 雑木のあいだに どこへ行っても 必ず 何本か 確認することが出来る。
その種類は 何種類かあるのだろうと思うけれど、
花と葉が同時に見られるのが、いわゆる山桜の特徴であるかな、と思う。 
野趣があって、可憐で、その姿はとても美しいと思う。

山桜の美しさについて、小林秀雄が語っている。
現代の人が美しいという、ソメイヨシノの桜は とても新しい桜であると。
これは 植木屋と文部省が結託して広めたものである。本来、サクラといえば、山桜のことを言う。
葉と一緒に花が同時に見られる。 この美しさは格別である。
山桜の美しさを、ことのほか気に入っていた、本居宣長は 
自分の墓のまわりに山桜を植えて欲しい旨を詳細に書き記しているが、
後世の本居ファンの人は 本居宣長の墓ばかりを重視して豪華にし、
山桜のことを見殺しにした。 これは、本居を理解していないことの証である、と。

また サクラ、つまり山桜の美しい場所は、やはり 吉野であろう、と語っている。
残念ながら、私は 吉野の桜を まだ見たことが無い。
このへんの山に昔から自生している山桜とは また違っているようだが、
いつの日かまた、一度 ぜひ見てみたいものだと思う。                  職人K

山桜、奥村土牛
                      奥村土牛、山桜
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2008.03.22 (Sat)

赤い、丸めがね

赤いめがね、お気に入り

この赤い丸メガネは、新調した、自分用のめがねです。
昔から 視力だけは自信があったので、メガネのお世話になることはありませんでした。
ところが、歳とともに 新聞が読みづらくなり、いわゆる、老眼が進んでしまいました。
1.0から1.5に、また2.0へと どんどん進みつつあります。
おしゃれな、リーディンググラスをということで、せっかくだから、
私も 思い切って 丸メガネにしてみました。
例の テンプルにかわいい模様の入った、女性用丸メガネです。 (女性用丸めがねは、コチラ
今回、赤い色にしてみました。
メガネケースの赤色とあわせて、ちょこんとケースに納まっているのも かわいらしいです。
いつも 仕事のかたわらにおいて、また 外出の時の必需品として、これから役に立ってもらおうと思います。            職人K

ただ今 執筆中
  ある時は、こんな仕事のかたわらにも、、
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2008.03.20 (Thu)

Seven years in Tibet、の映画から 雑感

せぶんいやーず3
この映画の中で、ハインリヒ・ハーラーが得意げに過去の栄光の写真を見せて、
かつてアイガー北壁初登頂、またオリンピックでの金メダル、など
その自慢話を、洋服仕立て屋のペマ・ラギという女性にする場面がある。
ペマという女性は、日本の女優、羽田美智子そっくりのチベット人女性である。
ペマが言う。
「西洋では、あらゆる意味で 頂上を極めた人が英雄。でも、私たちの理想は自我を捨てること。 
ここでは 目立つことが重要ではないの、、 」 と答える場面があった。
この言葉は、とても東洋的で興味深い。 
そのまま チベットの人の生き方をあらわす、印象的な言葉であると思う。
この女性に、ハーラーも友人(もと登山隊の隊長)も、二人ともが好意をいだくのであるが、
女性は、ハーラーではなく、もう一人の友人のほうを選び、
友人は この女性とともにチベットにこのまま残り、この地で生きようとする選択をする。

この映画では、チベット現地の人がみな、流暢な英語での会話であるから、
実際のところ不自然なことであるけれど、ふと、
こういうふうに 世界のいろんな国の人たちが、自国語以外に、共通の言葉で会話し、
意志伝達が出来たならば、素晴らしいなぁ、、なんて、どうでもよいことを考えてみたりした。
それにしても このペマ・ラギという美しい女性と、英語での会話、という組み合わせが
不思議に良い印象となって心に残っている。 
バター茶というのもどういうふうなお茶なのだろう、と思ってみたりした。

最後には、この美しいラサの国、雄大な自然と、仏教の信仰とともにある、人びとの平穏な生活も 
やがて、隣りの大国によって 終わりになることになる。 それは、
土足で宮中に入ってきた、将校たちが 床に書かれた、美しい図柄の砂絵(曼荼羅図)を踏みつける場面に、 これから先のこの国の将来が象徴されていると思う。
今の、報じられている、暴動の背景には、 こういう歴史があることを忘れてはならないと思う。
  職人K
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2008.03.19 (Wed)

Seven years in Tibet、の映画より

セブンイヤーズインチベット

オーストリアの登山家、ハインリヒ・ハーラーの実録をもとに制作された映画がある。
何年か前、映画ビデオを借りて2、3回見たことがある。
また 実際のその文庫本も買って読んでみたこともある。
主演はハインリヒ・ハーラー役に、ブラッド・ビッド。 私の大好きな俳優である。

1939年、登山家ハインリヒ・ハーラーはヒマラヤ登山を目指して出発するが、途中、第二次世界大戦勃発のため、インドで拘束され、その目的は閉ざされてしまう。 しかしながら、隊員の一人とともに収容所を脱出、2年の間、山岳地帯をさまよいながら、何とかチベットにたどり着く。 
そして チベットのラサで、 少年期のダライ・ラマ14世と運命的な出会いとなり、そこで家庭教師として迎えられ、そこでの7年間の滞在の記録を描いたものである。

この映画はハリウッドで製作された映画であるから、言葉はすべて英語。
また 実際のチベットでの撮影は無理だったとのことで、隣のネパール、また南米のアルゼンチンで
主に撮影、制作がすすめられたと聞いている。 ある場面だけは実際のチベットのものも入っているらしいが、私にはよくはわからない。 しかしながら、この映画の美しさ、とくにラサの国の美しさは忘れられない。
また 若き日のダライ・ラマ少年の 輝くような美しい目、 ハインリヒ・ハーラーとダライ・ラマとの友情がとても美しく描かれていて すばらしかった。 すべてにおいて 忘れられない映画である。
中国とチベットの歴史的な関係というのがよくわかる映画であった。

今、この映画を思い出さずにはいられないニュースが連日報道されている。
チベットの地をはなれて亡命政府にある、現在のダライ・ラマが 今 テレビに映し出されている。
チベットの人びとにとって ダライ・ラマは 生き仏、心のよりどころであるという。
映画の中の少年のころが、思い出される。
ダライ・ラマは とてもインテリで 昔と変わらず、紳士のように思われる。
「武力を持ってするは、時代おくれだ。 オリンピック開催国たるに、ふさわしい対処を希望する。」
との声明が出された。
真実はやがて、世界の人たちの前に明らかにされる日が必ず来ると信じたい。
私には、あの美しい雄大な大自然、仏教とともにあった、ラサのある国、チベットが忘れられない。
職人K
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2008.03.17 (Mon)

Spring has come !

紅梅
紅梅

昨日も暖かだった。
あまりの天気のよさに、しなくてはいけないことがいっぱいあるけれど、
日頃の運動不足を解消するために、近くの低山に散策に出てみることにした。
手にはデジカメを持って。 
職人Mも、いつものトレーニングのため、足にそれぞれ1kgの重りをつけて同行してくれる。
職人Mは朝はいつもこのコースを行っている。
もう すぐそこに春が来ているのが感じられた。

ヤマガラ
ヤマガラ                          写真、職人M

ピーピー鳴き声がして、空のほうを見上げると、鳥たちの姿も見えた。 散歩の人
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2008.03.15 (Sat)

ポールソン米国財務長官の夢

ポールソン長官の夢


ジョンソン宇宙センター、 「Good morning、エンデバー!」
エンデバー、        「Good morning !」
ジョンソン宇宙センター、 「タカオ、今日は ここに ポールソン長官がお見えよ。」
ポールソン財務長官、  「 Good morning、Mr DOI 」
エンデバー(土井さん)、 「Good morning、Mr ポールソン」
          長官、 「Mr DOI、 昨日はすばらしい仕事をしてくれたね、お見事だったよ。」
        土井さん、「 はい、どうも、、皆さんのおかげです。 特に、管制塔のみんなの、、、、」
          長官、 「今日はまた、いちだんと難しい仕事にとりかかるとか、、、君のことだ、
               きっとまた成功してくれると確信しているよ、、」
        土井さん、「 はい、」
          長官、 「全世界の人が注目しているよ。 
               本当に 日本人の君は 仕事が確実で素晴らしい。NASAの誇りだよ。」
        土井さん、「いえ、どうも、、」
          長官、 「ところで、、君にお願いがあるんだが、、そのために今日は来たんだが、、、
               今日の仕事が無事終わったら、そこで、宇宙から 
               メッセージをたのみたいんだよ、、、全世界に向けてね、、」
        土井さん、 「どんなメッセージでしょう?」
          長官、 「我々は、強いドルを望んでいる、、とね。」
               「先日からアピールしているんだが、なかなか効果がないのだ。
               18日には FRBのバーナンキがまたまた利下げをせざるをえないだろう。
               市場はいっそうのドル暴落につながりかねない、、混乱を招く、、
               これ以上のドル安を 我々は望んではいない、ということを
               メッセージとして広く全世界にアピールしてほしい。
               今回のこのスペースシャトルの偉業は 全世界が注目しているから、
               ここでアピールするのは またとない、絶好のチャンスなのだ。
               大きい垂れ幕など用意して ぜひ 頼みたいのだ。」
        土井さん、 「Yes、 sir! わかりました。
                こんどの宇宙ステーションの日本の実験棟は、
                [きぼう] って、言うんです。 任せてください。」
       
        土井隆夫エンデバー

      と、こういうところで 残念ながら ポールソン財務長官の夢はさめてしまったのであるが、
      そんなことを 想像してみた。

昨日は またまたいっそうのドル安が進んで ついに98円台をつけたようである。
ここしばらくの間に いっきに20円も為替相場が変動したことになる。
すでに あちこちで 深刻な影響が出ていると思う。
ドル安は 米国の ふくれあがった膨大な赤字の金額の量を 少しは軽くしたとは思うけれど、
もうこれ以上のドル安、弱いドルは、米国だけでなく、だれもがのぞんではいない。
米国の経済は やはり世界をリードして、世界はまた、米国の経済に深くリンケージしている。
ポールソン財務長官の憂鬱が あせりに変わる。
いったい、どこまで ドルの暴落、株の暴落がすすむのだろう。
「 山高ければ、谷深し、」、と昔から よく言われる。
今後はどこもの金融機関が決算をむかえて、その結果が発表されるはずだ。
金融機関の損失の規模いかんで、 また市場が動くだろう。
これ以上の深刻な事態には進んでほしくない。
またいっそうの暴落の事態に世界がおびえている。   職人K
                                            ポールソン米国財務長官
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2008.03.13 (Thu)

梅の花

梅の花

今日はとても暖かだった。19℃近くあったというから、そのはずである。
家の裏にある、梅の木を見に行ったら、その白い花が2つ、3つと咲き始めていた。
今年は3月に入ってからも、雪が降る寒い日があった。
こちらでは、やっと 梅の花が咲くようになった。

梅の花、といえば 昔、県外の友人から、めずらしい梅の木について教えてもらったことがある。
紅い花と 白い花が 同じ一本の木に 同時に咲くという、「咲き分けの梅」である。
紅白も その年によって 咲く枝が違うという。
これは 樹齢250年という、長野県木曽郡大桑村というところにある梅の木。
とても見事で、見ているだけでも おめでたい気持ちになってくる木であると思う。

咲き分けの梅
咲き分けの梅                写真、友人提供


一方、こちらは 越前海岸近くにある、河野村の山の高台に咲く梅の花。
ここでは、紅映(べにさし)という品種の梅を収穫する、その梅の木である。
梅の木は、それが梅の木と一目でわかる、独特の枝ぶり、シルエットがあると思う。
力強くて とてもリズミカルな枝の流れというのがあって、私は好きだ。
尾形光琳が 紅白梅図、というのを描いているけれど、
ああいう構図が生まれてくる訳が何となく、わかるような気がする。
とても風情があると思う。   職人K
河野村の梅
河野村の梅林                写真、職人M
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2008.03.12 (Wed)

めがねの街、鯖江

メガネの町、さばえ
春、雪化粧の文殊山            2008 3/5

昨日、めがねの表面処理加工依頼のために、いつもの会社の受付へ行った。
春である。 ぞろぞろと20人くらい、新入社員になるらしい人たちが、列になって2階から降りてきた。
これから 工場のほうへ見学のためか、移動中のようだった。
不景気とはいえ、やはり 新しい社員の採用はあるのだな、とうれしくなった。
若い女性の一人と目があって、笑顔で 私に挨拶をかわしながら通って行った。
「こ、ん、に、ち、わ、」
「今日は、」
挨拶をかわして、すべてを理解した。
若い女性も、男性も、みんな中国からの研修生、こんど新入社員になる人たちのようだった。

かつて めがね業界では、
この企業だけでなく、他の多くの企業が、 地元の高校生の主な就職受け入れ先であった。
特に この企業は、一時は 地元の若い人にとっては、 あこがれの会社ではなかったのだろうか。
株式上場もいわれていた時があった。 
今も変わらないと思うけれど、若い力があふれていて、新鮮なイメージがあった。
社内恋愛の結果、結婚したというカップルも何組か知っている。
今でも 地元の採用はあるのかもしれないけれど、
こんなに多くの中国からの研修生が入るとなると、それも不安になってくる。
高校を出ても、大学を出ても、地元には なかなか就職先がない、という声が多く聞かれる。
10年、20年、30年と経つと、かつての時代と、何もかもが変わってきた。
多くの会社が生産拠点を海外に移したことで、 それまであった仕事の分に対処すべく
メッキなど表面処理の技術のあるところは、それを活かして、
めがね以外の、異業種の分野へも進出していると聞く。
後退するものと、新しく始まるものとは 常に同時進行かもしれない。
新しい分野がある場合は ラッキーである。
しかしながら 多くの場合、なかなかそれがない。

街の中で、休日などには 自転車に乗った、外国人が目立って多くなってきた。
あと10年したら この鯖江の街は どうなっているのだろうと思う。
鯖江だけではない。 越前市でも、福井市でも、、製造の現場は どこもそうである。
また、日本の農業についても 同じことが言えると思う。
今のままではだめだ、と 全国の、あらゆる産業の 地場産地から その声が聞こえてくる。
いちど消えてしまえば、なかなか再興することの難しいことも だれもがわかっている。
なんとかならないのだろうか。 
だれもがそう思っているだろう。
ため息が出てくる、今日このごろである。    職人K

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2008.03.10 (Mon)

小さい丸メガネの魅力 ! !

001.jpg

先日、小さい丸メガネの依頼がありました。レンズ径38mmというかなり小さなものです。

県外の方なので、あらかじめ10種類ぐらいの丸メガネをその方にお送りしてじっくり選んでいただいた結果、このメガネになりました。

レンズが小さいと、目と目の間隔が狭くなるので、鼻幅を広く作ったものです。

鼻幅は普通、24mm前後だけれど、このメガネは28mmと4mm広くしました。そうする事により
レンズの中心に瞳が来るようになります。ちょっと間がぬけたように見えるのもまたおしゃれです。

丸メガネを作っていると、顔に合わせるのはとても微妙な事が良くわかります。
目と目の距離、鼻筋の高さ、顔の広さ、どれもがそれぞれ違うし、人の顔には最大公約数的な
大きさがないことに気づきます、つまるところ、オーダーメード的な寸法が必要になる事が
わかってきます。
  002.jpg


レンズの大きさで顔の印象が 変わってきます。
また、丸はユーモラスと思っていたけれど、かけてみると頑固そうに見える事もあるし、いつも思索に耽っているようにも見えたりすることも感じるようになりました。
これらの事は、自分が丸メガネを作り、かけてみてはじめてわかったことです。

果たしてこのメガネの依頼主の方はこのメガネをかけてどんな風に見えるのでしょうか?
美術の作家活動をされているとかで、ますます、こだわった個性的な作品を生み出すのにこのメガネが少しでも役に立てばと思うのですが、、、勝手に期待しています。
職人M

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2008.03.09 (Sun)

街の中にて、丸メガネ

      ジュンにて丸メガネ
             丸メガネの職人M    越前市にて

「いいメガネをかけてらっしゃいますね、、」 、思わず、そう声をかけられた。
越前市にある、老舗の洋菓子店である。
今日は 出かけなければならない用事があって、そのついでに立ち寄った。
歴史の古い店であるが、ちょうどたまたま、表通りに出て 新装開店したばかりのようだ。
そこで 珈琲をついでに飲んで行くことにした。
そこの主人に そう言われた。 うれしいことである。
丸メガネの 動く、広告塔となったわけだ。

いつもは、「男はボロを着ていればよい、、」とばかりに、同じものを構わず着ている、職人Mであるが、
今日は、外出のため、いつもとは違い、おしゃれな、身なりをしている。
ずっと仕事が立て込んでいて、かなり疲れてもいたから、気分転換したかったからかもしれない。
ライトブルーのラガーシャツ、に オレンジのダウンジャケットを着こんでいる。
また いつものメガネとは違って、
やや小さめの玉型の丸メガネ、シルバー色の丸メガネをかけていた。
そう 言われてみれば、昔の哲学者タイプと違って、また、
こういう、今風のカジュアルなファションにも なかなか良く似合っているようにも思う。
「丸メガネ、を自分で作っています。」と 照れながら 答えていた。

このところ、少しずつではあるが、丸メガネについて、声をかけていただけるようになった。
とてもうれしいことである。 有難いことだと、つくづく思う。     職人K

EDIT  |  23:33  |  ART M  |  Top↑
2008.03.07 (Fri)

黒楽茶碗、 銘「時雨」

光悦 時雨 [小」
重要文化財、本阿弥光悦作、銘「時雨」

友人から絵はがきが送られてきた。 
名古屋での展覧会で、なかなか見れないものを見てきたのだという。
これまで門外不出であった、江戸時代前期の 本阿弥光悦の黒楽茶碗、銘「時雨」だ。
飲み口はシャープで、底のほうは丸く、とても 素晴らしい作品だと思う。
職人Mによると、「腹が立ってくるほど いいなぁ、、」とのこと。
これは ロクロを使わず、手びねりでの作陶で 楽茶碗の方法である。

本阿弥光悦については 先に述べたことがあるけれど、
細川元首相によると、
「私は光悦の茶碗にもたいへん惹かれる。光悦の茶碗から感じることは、いいものを造って
世の評価をかち得たいなどという物欲しそうなところがいっさい漂っていないということだ。」と、ある。
目利きな人の言葉、である。 きっと そうなのであろう。

ここしばらく寒い日が続いている。
雪は まだ なごり雪でもないだろう。 今年は変わった気象のようだから、 
まだ何回か雪もあるかもしれない。 しかしながら、春の雪である。

時間はあっという間に過ぎていくものだ、とつくづく思う。
この前、3月になったと思ったところなのに、もう一週間過ぎてしまった。
毎日、とても気ぜわしい。 バタバタした毎日を送っている。
とくに ここしばらくは ほっと一息ついてなど、落ち着いた気持ちにもなれなかった。
しかしながら、こんな時にこそ、忙中の閑、
お茶を一服、飲んでみるなどするのがいいかもしれないと思う。
うちにも、 名作がいっぱいあるのだから。    職人K

春の雪3
銘、春の雪、        1998年、職人M作
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2008.03.06 (Thu)

3月、もどり寒波

雪のあられ

ついこのあいだ、春一番かと思われる風が吹いた、と言われたのに
2、3日前から またまた冬のような、寒い、雪の降る日となった。
今年は このように 寒暖をくりかえす、めずらしい気象の年であるという。
ずっと前、ホーホケキョ、と鳴いたという、ウグイスなど どうしているだろうと思う。
いったい、いつ 本格的に鳴いたらいいんだい?って、困っているだろう。

朝方は 大きな粒のあられのような雪が降った。
あまりに大きいので とって報告しようと 器を置いてみたけれど、
最初ははじいてなかなかうまく器の中におさまらない。

雪の中、庭に出てみたら、 この寒い雪の中、
冷たい雪にうたれながらも さざんかの木が、 赤い、可憐な花をつけて咲いていた。
この時期、生垣や 庭木で 多くこの花がみられるが、
晴れて暖かい日よりも、こういうふうな、きびしい冬の天気の日のほうが、不思議に、
さざんかの花は 凛として咲いているようで、美しいように思われる。
思わず、デジカメを取りに家に入った。  職人K

さざんか
さざんかの花、冷たい風にゆれて。
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2008.03.05 (Wed)

梅原猛氏講演から、世阿弥の能

翁の面
能の「翁」、天下泰平、貴人長寿を祈る、あるいは祝う舞であるという。

能、をどう見るか。
梅原氏によると、
日本では、11世紀に書かれた、源氏物語という小説があって とても評価が高いが、
演劇としての 能もまた それに劣らないほど、すばらしいものである、とのことである。
というのは、源氏物語は 所詮は 宮中、という貴族の間でのことを題材、描かれているのに対し、
能は、特に 世阿弥の能は、その題材は伊勢物語からくるものが多く、
支配者の残酷に翻弄される、民衆の苦しみを表す作品が多いという。 
それは貴族だけの階級の間のことだけに限るのでなく、
広く社会全体を描いたものであることに意義があり、この時代、世界にも 他に類を見ないという。

能は、室町時代に、観阿弥、世阿弥、親子によって確立、大成された、面をつけた演劇である。
世阿弥の能は、さらに芸術性を高め、幽玄美を追求していったものであるという。
世阿弥によって書かれた、風姿花伝は 能の理論書であるが、芸術論としてもその評価は高く、
日本の美学の古典とも言われるらしい。
江戸時代、幕府は、能を、公の儀式に用いる式楽として奨励、支配者自らが 能を舞ったが、
江戸時代の終わりとともに、能も衰退、いわば 
能文化そのものが江戸幕府の終止符と同時に冷凍保存されたようなもので、その結果、
私たちは 600年前の当時のままの能を今、みることが出来るのだという。

能、というものについて 私は何も知らない。 
何回か、テレビのドラマの中で、あるいは 映画の中の1シーンで見たくらいである。
能についての素養、教養もないから、見てもよくわからない。
だけれども あの平面的な表情の面をつけて、豪華な金襴の衣装をつけて 
つつみの音にあわせて、、、 たんたんと静かに舞う姿は、かえって
面の下の秘めたる精神、というのが伝わってくるみたいで、
迫力があり 怖くなってくるような気がしてくる。
無表情の中に 深く思うものがあることが とても日本的な表現であると思う。
能には いくつもの名作品があるらしいが、梅原氏によると どれもすばらしい作品であるとのこと。
観阿弥、世阿弥、はもちろんのこと、後に続く 元雅、禅竹、信光、いずれも 天才であるという。

話を聞いて、私は 能、そのものよりも、 世阿弥の人生そのもの、のほうに 心がひかれた。
ずいぶん低い身分に生まれながら、 12歳の時に、父の観阿弥と一緒に同じ舞台に立って、
その時に 足利義満によって見出され、破格の寵愛をうけ、
当時のトップクラスの学問、教養をつけさせてもらって、その保護のもと、
幽玄美の能を確立、大成させるが、義満の死後、足利義持、足利義教へと代がかわり、
やがては疎まれて、ついには佐渡へ流されてしまうことになる。
佐渡へは、京都を出て、福井県の小浜から 向かっている。
なんと 76歳になってからである。
あとにはまた京都へ戻ったとか、くわしい消息は不明である。
なんという 天と地ほどの両極端をちりばめた運命の、波乱万丈の人生をたどることか。
つくづく哀れを感じてしまう。

梅原氏によると、
世阿弥はいわば救われない怨霊の鎮魂者であったが、つひに世阿弥自身が怨霊になってしまう、
ということである。   職人K

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2008.03.03 (Mon)

梅原猛氏講演から、 ライブの魅力

ライブ、生の声
熱弁の梅原氏                    写真、職人M

先日は 福井県の越前町にて 梅原猛氏の講演会があった。
この越前町は、白山信仰としてその開山の祖とされる、泰澄大師とゆかりの多い地である。
それゆえか、梅原氏が講演に来られるのは、今回がはじめてではない。
演題は、「世阿弥の能」。 日本を代表する文化人。
日本の仏教を中心において、日本人の精神性、文化を追求されている、哲学者である。
職人Mのすすめで、一緒に出かけてみた。
梅原氏には、日本人と宗教、ということで 仏縁が出来たときに、
宗教というものについて、学問的に勉強してみたことがある。
最近では、いろんな歴史を勉強すると、必ずと言っていいほど、引用として 氏の学問的見解が用いられていることが多い。 司馬遼太郎と同等に対談するに、ふさわしい人物である、と評価する人もある。 
出かけてみて本当によかったと思った。
何より、氏のエネルギッシュな熱弁にはびっくりしてしまう。 御歳、84歳とは思えないほどである。
心から心酔されておられるのだろう、 評価の弁にも 熱いものがあって それが伝わってきた。
世阿弥の数奇な、運命的とも思われる人生、というのを はじめて知ることになった。

講演会というと 行きたいな、と思いつつ、日々の雑事に追われてしまって、
何となく出かけて行くまでに それなりの気力がなければならない。 
行動に移す前に おっくうになってしまう。
しかしながら、 行動を起こした者が勝ち、であると思う。 
一期一会の出会いが待っているかもしれない。 
無からは何も生まれない。 有から 無や有が生まれるのである。
そして 文字からではなく、生きた会話から ライブで感じ取ることが出来るのである。

若い頃、作家の、森敦の講演を聞いたことがある。 
その時には、そこで、中島敦の「弟子」に出会った。
また、曽野綾子の講演にも聞きに行った。 その時には、見本、とスタンプを裏に押されたネクタイを
にやにやと気に入って〆ている、夫君の、三浦朱門の話を聞いた。 
若いときには 理想の男性像に思えた。
何かを話そうとして 講演に来られた人の話には、それなりの 宝石のような光るものが必ず入っている。 
そのときはわからなくとも、何か 興味の発端となるものがある場合が多いようだ。
厚い本を読まなくても、その凝縮された内容を、あるいはその一部分であっても 
じかに聞くことができるのは、素晴らしいことだと思う。

今回の聴衆は、 黒やグレーの色の服を着た、かなりの年配の人が非常に多く見られた。
数日前に ぎっくり腰みたいになって 歩くのさえぎこちない、腰のかがんだ私も 会場の人としっくり
とけこんでいるようで 自分でもおかしかった。
ちょうど同じころ、同じ時間に おとなりの越前市(旧、武生市)では、作家、五木寛之が講演に来ていると聞いた。 こちらは、女性陣で会場が埋まっているだろう。
帰り路に立ち寄った、馴染みの餅店のおかみさんも講演会に出かけて留守だ、と聞いた。
五木氏のほうの講演会にであった。
みんなが そわそわと 春の講演会へ出かけたわけである。   職人K

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2008.03.01 (Sat)

made in Japan、の誇り

made in japan の誇り

最近になって あらためて 原産国表示のことが 言われるようになった。
特に ここ最近では 食品について きびしく問われている。

私たちの メガネの製造においてももちろんである。
何も表示がなければ どこで製造されたのか、消費者にはわからない。
食品など すぐに口に入れるものは どこで、だれが、作ったものであるかについて、
特に気にかかるものであると思う。
しかしながら、そうでない、身につけるモノ、使うモノにおいては、
だれが、どこで作ったものであろうと 丈夫で、長持ちして、使い勝手がよくて、それでいて安かったらなおさらで、いわゆる良品であれば 十分であると思う。 メガネの場合は それにファションセンスが問われるかと思う。
メガネにたずさわって30年、父の代から数えると 50年以上にもなる。
国内に向けて、また海外に向けて、いつも製造にかかわる者なら だれでも、そのことを、常に考えてきたはずだ。
そして、その結果、製造の現場では、多くの職人が必要とされ、育ってきたと思う。
メガネは小さいけれど、工程の数は ものすごい数になる。
まわりには、中学を卒業してから50年以上もずっとたずさわってきた、ホンモノの職人さんもある。
金属、素材の特性など、経験的にも 知り尽くしているから、常々、感心してしまう。
日本で製造が本格的に始まったころ、部品の一つ一つは、手作りから始まったという。
当時は made in Germany が素晴らしいお手本だったという。
その技術に追いつけ、追い越せ、という気持ちだったようだ。

何十年か過ぎて、やっと made in Japanの表示も 世界的な信用を得るようになった。
はじめから、何から何まで こちらで作っているのだから 当然すぎる、その表示であるが、
その表示をできる事に、このごろ、 誇りを感じるようになってきた。
まわりでは、以前よりも あまりに 製造の現場が 少なくなってしまった。
かわりに増えたのは、安価な海外製品である。 
それも資本主義経済の行き着く、当然の宿命だから 仕方がないことだ。

その、海外の製品をみてみると、
ファッション産業でもあるから、見た目の美しさ、デザインの素晴らしさには 感心してしまうけれど、 
手にとって、触ってみると 反面 びっくりしてしまうこともある。
素材の強さ、機能性といった面では あまりにお粗末、ということがある。
メガネにたずさわる職人として、とても OKとは言えない製品にもでくわす時もある。
何かあっても、クレームに対しては、対応は期待できない、とも聞いた。

今、made in Japan という表示をするとき、それは、
何かあったら すぐに対応させていただきます、という職人としての心持、良心を示すものとして、
いつも考えている。 とりまく環境が厳しい中、いつまで続けられるかわからないが、
何とかがんばっていきたいと思いながら、今日もメガネの仕事を続けている。 
 職人M、 職人K
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