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2008.02.28 (Thu)

春、ワタリドリの会話

春のいぶき
早春のねこやなぎの向こうから、何やら声がする、、、

「ぴー、、」
「ややっ、知らない顔だな、、どこから来たんだい?」
「ロシアのほうからさ、、」
「ふーん、、北の方から、、か、、」
「南から、かと思ったよ、、、 そうだ、あの大きなニワトリ小屋だけど、あそこには近づかない方がいいぜ。」
「・・・ どうしてだい?」
「おいらみたいな、ワタリドリが近づくのを 人間はいやがるのさ、、特に 今の時期はね、、、」
「ふーん、あそこは ニワトリ君たちのエサが近くに落ちているから 今行こうと思っていたところだけど、、」
「もう そんなに落ちてはいないぞ、、ビニールでおおってあってさ、、簡単には近づけないぞ、、」
「何かあったのかい?」
「インフルエンザさ、、鳥インフルが、、、南の方で確認されたんだ、、WHOの発表、聞いていないのかい?」
「知らなかったよ、、、気をつけなくちゃ、、冬だし、、いやだな、、」
「自分のことだけじゃないぜ、、そのウィルスを持っているだけで、、この前なんか、小屋のニワトリ君たち全部が処分されちまったんだぜ、、、  、、よそのことながら あれほど悲しかったことはなかったぜ、、」
「へぇー、そいつは気の毒だ、、どうしてそんなことになったんだい?」
「ぼくたち ワタリドリがあやしいんだっていうんだ、、」
「そのウィルスを運んできたって、いうのかい?」
「そうらしいよ。 ボクたち自身も、わからないよな、、、」
「広がる前に、封じ込めないとだめらしいんだ、、人間に移ると ウィルスが変異するんだと、、.
そして、、それが広がると、、
 パンデミック、って言うんだ。そうなると大変なことになるらしいんだ、、」
「ボクたちだって大変だ。 ニワトリ君たちだって大変だ。生きているうちに、なんて、、」
「仕方ないさ、、人間さまをおびやかすんだからね、、、」
「ついこの前までは 野鳥保護、とかいって みんなの目もあたたかだったなぁ、、」
「人間なんて、その時々で変わるのさ、、、」
「へぇー そんなもんかい、 これからは 人目を避けるさ、、特に ニワトリ君には近づかないさ、、、」
「同じ、鳥として そうなったら 気の毒だからさぁー、、聞いてよかったよ。」
「気をつけよう。 春が来たって、おいら、鳥にとっては 当分は 冬時代さ、、、とほほ。 ぴっ、ぴっ、、」
「ぴー、本当だ。 気をつけよう。  ぴー、、」

聞いた人、職人K  写真、職人M
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2008.02.27 (Wed)

おいらたちは、田舎のカラス

田舎のカラス
寒波到来、荒れ模様の天気(雪)の中、何やらお食事中

ある、荒れた天気の冬の休日の朝のこと。
先頃の 春が来たかと思われるような、ウグイスの声、姿を確認したばかりの 職人Mであるが、
今度は何やら心に意図することあって、仕度も万全に、一人カメラを持って外に出た。
向かった所は 冬の越前海岸。 その結果はコチラ、HPのprofileの gallery3 をクリック。
BIG WAVE の上を素晴らしく飛びまわる鳥の姿が、、。

 一方、そこまでの 道中で撮った、という この一枚の写真が、私の眼をひきつけた。
この風景、冬に 何回か見たことがある。
ハシボソカラスの群れである。
口ばしのことをハシというのか、その太い、細い、によって カラスには、
ハシブト(太)カラス、ハシボソ(細)カラスの2つの種類がある。
生ゴミをあさっているような、都会に多く見られるのは ハシブトカラス、
そして この田んぼの中のカラスなどは ハシボソカラスである。
繁殖期以外の 冬などの季節は 集団で群れをなしていることが多いという。
農産物にとって害である、昆虫など害虫を食べてくれることもあって、その点では
有難いこともあるという。

粉雪の舞う中、何やら一生懸命食べているが、何を食べているのか、わからない。
切り取られた稲株の後に生えてきた、小さな稲の穂の残りつぶだろうか。
冬の中でも いくらかの食料となるものが 何かあることだけは確かだ。
カラスは その黒い身体ゆえに 群れでいると気味がわるいこともあるが、
相当な学習能力、知恵を持った 非常に賢い鳥である。     職人K

カラス君
知らん顔でいながら、確実に見えている、すごい視力
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2008.02.25 (Mon)

オバマ氏、米国のゆく先

ミサイル

米国の大統領候補、民主党の指名争いのゆくえは ますます熱くなってきた。
ここへきて オバマ氏の勢いがますます強くなってきたようである。
はたして、オバマ氏が 今の共和党に代わって 次の米国の大統領となるのであろうか。
そして 今、経済的にも 大変な危機の中にある、米国の救世主としての指導者となりうる人物となるのだろうか。

先日、NHKで 米国経済の特集として、いろんな立場の人達の暮らしがリポートされていた。
サブプライムローンから発した経済破綻の実情、また経済の低迷の実情について、である。
もうしばらくで家を出なければならない家族、また食料の無料配布に毎回列に並ばざるをえなくなった人びとなど、、、そして ついこの前までは 中間層として普通に暮らせていた人たちの、大量な没落の報告であった。

1月の終わりころ、NYSEの大幅な下落に もうどうしようもない、という感じで緊急に利下げの発表があった。相次ぐ利下げによって、 しばらくは株価の下落はおさまったようにみえた。
しかしながら 低迷は やはり今も続いている。
そして このところのドル安は、急激な金属などの原材料の高騰、穀物の高騰を 米国民にとっていっそう深刻なものにしているとの報告であった。
今まで、かつてのIT産業にかわって、景気を牽引していた住宅関連産業も またまた後退して、 
不景気な中での 物価上昇、インフレが 確実に進んでいるようである。
専門家によると もっとも怖いところの スタグフレーションに進みつつあるとのことである。

つい先日20日、有毒な燃料を満載したまま軌道上で制御不能となった偵察衛星を 大気圏外で破壊するため、米国は イージス艦から迎撃ミサイルを発射、命中させ、破壊に成功したとの発表があった。
米国はこのことで 軍事力を、あらためて世界にその強さを示したことになると思う。
経済ではリセッションだの、危機だの言われているが、
文句なしに 軍事力ではやはり世界一を誇っていると言っていいと思う。
このまま、経済危機を乗り越えるべく、その建て直しがうまくいかなかった場合、
今度は 軍事力で打って出る、戦争へとつながるようなら 本当に不安でこわい。
米国で、住宅産業に代わる、経済を牽引する次なる産業は 軍需産業である、と指摘する専門家もある。 
そうなるとオバマ氏の民主党ではなく、またまた共和党となることになる。
米国では 国家の戦略意志、によってその候補者が決まるらしい。

世の中が混乱して悪くなると、不思議に 救世主たる、優れた指導者が出てくるものである、と 
かつての先生から聞いたことがある。
オバマ氏は その人物なのかどうかわからないが、そうであってほしいと願っている。
もう 戦争は これ以上、あってほしくないと思うから。
職人K
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2008.02.24 (Sun)

オバマ氏、小浜市

オバマ氏
演説するオバマ氏
CHANGE、Time has come、Ⅰwill be president for USA

今、福井県の小浜(おばま)市が、その名前で 世界的?にも注目されているという。
NHKの朝の連載ドラマの主人公のふるさとで 今、小浜市も全国的に知名度が上がったところへ、
今度は 米国の大統領候補、オバマ氏と同じ名前、ということで わざわざ米国へメッセージを送るなどして その名を宣伝、アピールしている。
報道によると 市では オバマバーガーなどの販売、またその名前のはいったお菓子など、
検討しているところだという。 まさに 現代においては PRの時代といえると思う。
とにかく 知って、おぼえてもらわないことには何も始まらない、ということだろうか。
それにしても 小浜市内には 大統領、という名のついたパチンコ店まであるというから、
本当に面白い。

小浜市は、ドラマ[ちりとてちん]でも何回も紹介されていたと思うが、
焼き鯖がおいしいし、 また 美しい細工の若狭塗りばしについても 
よく 知られる結果になったと思う。
しかしながら、 いちばん知って欲しいところは、
[お水送り]の行事からわかるように、奈良の天平の時代から伝わる、
奈良の都と この小浜、若狭の地との 深い密接な関係だと思う。
毎年、3月2日にとり行われる[お水送り]の行事であるが、10日間をかけて届けられるという、3月12日の東大寺の[お水とり]の行事につながっている。 都に春を告げる行事であるという。
それは 鵜の瀬(うのせ)という地の清らかな水である。
そう、小浜市のある若狭は その 清らかな水のある所として その名が太古の昔から有名なのである。   職人K
お水送り
お水送りの神事
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2008.02.22 (Fri)

柑橘、まだまだこれからも

街中の夏みかん
街の中のたわわに実った柑橘、京都市左京区

みかんの季節は終わったけれど、伊予柑、ぽんかん、ネーブル、デコポン、はるみ、、、と次々と
春の柑橘が 店先に並ぶようになった。 特にデコポンは 大好物のひとつである。
ポンカンと清美タンゴールとを交配して作り出された品種らしい。
そのかわいらしい形といい、甘さといい、皮のむきやすさといい、今いちばん人気のある柑橘であると思う。
店先に 今までのみかんに代わって 次々と並んでくるようになると、またそわそわしてくる。

先日、京都の街の中で 道路の上に おおいかぶさるように 大きな黄色の夏みかん?のようなものが たくさん実をつけていた。
この常緑のつやのある葉の緑、と 大きな柑橘の実の黄色のコントラストがとてもよくて、
いつも私の眼をひきつける。 こういう配色の風景に 昔から なぜか魅かれてしまう。
そういえば お雛さまの段飾りの中にもある。
片方は桜の木、もう片方は 橘の木となっている。
京都の仁和寺にも 立派な橘の木があって とても風情があったのを覚えている。ここでも桜の木と 一対になっていた。
遠くは 山口県の萩、その市内にも 夏みかんの木が多くある、と聞いたことがある。
たしか 琵琶湖の近く、滋賀県の民家の庭の中にも見た記憶がある。
柿などと同じように 食用にも 観賞用にもなっているのかもしれない。
いずれの場合でも 日々見て暮らす人にとっては、とても楽しみなことであると思う。

クレヨンなどの色で 昔から だいだい色、というのがあった。
小さい時は そのまま オレンジ色の呼び名として 当たり前に覚えてしまっていたが、
これを漢字で書くと 一字で 橙、と書くことを 後で知った。
お正月の玄関飾りのしめなわについているみかんのような、硬い実が そうであると思う。
橙(だいだい)、という名前、なんか素敵なひびきがある。 日本はいいところだな、と思う。
柑橘類には ほかにもたくさんの種類があるようである。 

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2008.02.20 (Wed)

コーヒーで ほっと一息。

コーヒカップ

昨日、今日と忙しかった。 とりあえず、2月分の納品も無事すんだ。
また明日から3月分がはじまる。 ほっと一息。コーヒーがおいしい。
今日は いつものカップではなくて 新しいコーヒーカップをおろして使うことにした。
カップはすべて 職人M作。

コーヒーのおいしい入れ方はちゃんとした手順があると思うが、
こだわりのコーヒーでも、インスタントコーヒーでも、
ひと仕事終わったあとの、また
自分で入れるよりは、 だれでもいい、だれか他の人にいれてもらったコーヒー、
これにまさる、おいしいものはないと思う。
コーヒーの中に、人の気持ちが感じられるからだろうか。
いつも つくづくそう思う。   職人K

カップ
昨年の夏、焼かれたもの

カップ2
底に脚がついたユニークなカップ
EDIT  |  21:16  |  日記  |  TB(0)  |  CM(1)  |  Top↑
2008.02.18 (Mon)

桃の節句、お雛さま

おひなさまとネーブル

昨日は お雛さまを出して飾った。 木目込み人形のお雛さまである。
長女が生まれた時、両親とともに 皆で選んで決めたもの。
お雛さまを選ぶ時には、顔の表情が重要なポイントである、とそのときに父に聞いたのをおぼえている。
同じように並んでいても、 一つ一つ、それぞれに違うようである。
ふっくらとして、穏やかな表情のお雛さまに 年に一回、この期間だけ お目にかかることになる。
子どもの 健やかな成長、やがて その後の幸せな人生を願って。

また、この日、思いもかけず、立派なネーブルをたくさんいただいた。
早速、ひなあられや桜餅より先に お供えした。
これは熊本産の完熟のもの。中に生産者の、歌を書いた紙片が入っていた。
  嫁ぎゆく 娘(こ)にせしごとく ネーブルの
  ひとつ一つを 包みをる今朝          
と、書いてある。 一つ一つ丁寧に白い紙で包んである。
こうやって 丹精こめて作ったネーブルを出荷するのには 娘を嫁がせる親のような気持ちになるからだろう。 そんな気持ちが伝わってきた。
おだいりさま

ネーブル

そういえば 雛、といえば こちら越前市にある日野山(795m)は 別名、雛ヶ岳(ひながだけ)ともいう。 職人K
日野山
孤高の趣をなしてそびえ立つ、日野山(雛ヶ岳)
EDIT  |  08:22  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.17 (Sun)

ゴルゴ13、に出てくる職人

昨日、先日の修理したメガネがとてもよかった、と かけて見た写真入りで連絡があった。
テンプルの長さもぴったり、また
耳のあたる部分の トラトラ模様の茶色のものも お父さんが気に入って下さったとのことで、
喜んでもらえてとてもうれしい。
メガネに関することなら、何でも、一度 ご相談下さいますように。

 簡単な修理くらいなら 専門なのだから 出来て当たり前かもしれない。
 職人というからには、、、たしか、漫画のストーリーの中に、職人が出てくる場面があった。
 この場合の職人は、腕のたつ、す、ご、い、職人だ。
ゴルゴ13

 超A級スナイパー、ゴルゴ13のシリーズの 第何話かに出てくる、銃を作る職人だ。
 その中で、 ゴルゴ13が 特殊な、特別の銃を注文に行く場面があった。

EDIT  |  09:00  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.16 (Sat)

朝、起きたら 大雪

朝、起きたら 大雪。 15か20センチくらい積もったかな、と思う。
とてもやわらかな雪だから、日差しに当たればすぐに量が減ると思うけれど 久しぶりに 
ママさんダンプ、というものを出して 雪かきをしてみた。
うちの メガネ君もびっくり、雪の中、、、。

大雪


大雪3


EDIT  |  10:29  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.15 (Fri)

湯川秀樹 Ⅳ、 自伝[旅人]より

20070817151808.jpg
大文字山、京都市左京区

湯川の得意とする学問は、数学であった。
森外三郎先生も数学が専門であった。 しかしながら 湯川は数学者の道には進まなかった。
三高にはいって、まもなくのこと、 数学の立体幾何の、ある試験があった。 
その試験の中でひとつ、証明のところが零点になっている。 おかしい、そんなはずはない。
すぐに解答を検討してみた。 友人にも確かめた。
友人も その解答が正しいことを認めた。 誰かが言う。
[あの先生はね、自分の講義中にやったとおりでないと、零点なんだ。] と。
このとき、いっぺんに数学に対する興味が失われてしまった。
先生に教えられた通りに答えなければならない、そんな学問に 一生を託すのはいやだ、と。

ずいぶん前に 寺尾聡、演ずる [博士の愛した数式] という映画を見た。
数学の面白さが ほんの少しだけど わかったような気がした。 
そのときに この話を思い出していた。
ひょっとしたら、 その証明は 美しくなかったのでは、とも思った。
数学には、美しい証明と そうでない証明があるらしい。 正しいだけではだめなのだろうか。

いずれにしても この先生の採点方法は 湯川を数学の道から 追い出したことになる。

EDIT  |  00:01  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.14 (Thu)

湯川秀樹 Ⅲ、 自伝[旅人]より

老子や荘子の思想は自然主義的であり、宿命論的であった。
しかしそこには、一種の徹底した、合理的なものの考え方が見出されたのである。
一つにはこの点が私にアッピールしたのであろう。
私は、小さい時から、中途半端な物の考え方には満足できなかった。

zou.jpg


校長先生はある朝、[徹底]という題で話をされた。
いろいろな動物が川を渡った。 ほかの動物はみな泳いで渡った。
象だけは、川の底をふみしめて渡った。 これが、徹底だ、という話である。

小学生の私の心の中に、徹底、という言葉が、いつまでも強い印象を残した。
ただ 校長先生の話を聞きながら、もしも 象の背も立たないような川があったら どういうことになるだろうか、と子供心に ふと疑いを抱いた。

中学生の私は、一方では老子や荘子の逆説を痛快に感じながらも、
何かそれではすまされないものがあることを否定できなかった。
私の中には、青春の血が流れはじめていたのかも知れない。

私は、、はやくお隣の三高に入りたいとい気持ちが強くなりつつあった。
アインシュタイン博士が日本を訪れたのは、それから間もなくであった。 (以上、本文より 抜粋)
EDIT  |  08:37  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.12 (Tue)

湯川秀樹 Ⅱ、自伝[旅人]より

本

[君たち、中学生を 今日から紳士として扱う。よって 君をつけて呼ぶ。]とは、
湯川が進学した、京都の一中、の校長、森外三郎先生の言葉である。
この言葉で いっぺんに尊敬するようになってしまった、という。
湯川という少年は、人を呼び捨てにするのも、またされるのもいやであるという、そんなふうなタイプの少年、人間だったのである。 現代のような時代では とても無理だと思われるが、
私も そんな教育の場の環境というのにあこがれてしまう。
 森校長はやがて 三高の校長先生にもなられるので 湯川にとって 森校長の下、一中、三高と 自由な気風の学校の中で過ごす事ができたのは とてもよかったという。
 湯川にとって 生い立ち、学問する環境に 世俗的な苦労は全くなく、とても恵まれた環境であったと言っていいと思う。 ただ 困難があるとしたら、それは湯川自身の持つ、生まれつきのものとも思われる、内面的な性格そのもの、であると思われる。

 同じ親から生まれながら、兄弟でも全く性格が違うのは 私たちの間でもよく経験することだが、 
湯川の場合も同様であったようだ。 他の兄弟とは違っている。
そして 湯川自身も 語っている。 私は生まれつき、自己を表現することに困難を感じる人間である。
それにまた自意識過剰の人間である、と。
人一倍、感受性は強く、傷つきやすい。 心の平静を失うまい、とすれば どうしても人との接触を避けてしまう。 やがて自分は孤独だ、と思うようになり、人生とは何か、厭世感へとつながっていく。
この思想に 小さいときから あとあとまで 常に支配されているようで、読んでいても つらくなる。 湯川が 後に このことからいくぶんでも解放されるのは 後の湯川スミとの結婚によってだ、と私には思われる。 転機はやがて訪れるものである。

 湯川のそのような性格に 父、小川琢治でさえ 進路について思いあぐねていて、
森校長に どうしたものか、と聞いている。 すると、
[ どうしてそんなことを言われるのか、私にはわからない。 秀樹君ほど優秀な者はいない、
着想がするどい、ずば抜けていて 天才的なところがある。、、私が保証する。] との言葉。
この言葉がなかったら、 父、琢治は 他の兄弟のように、湯川には、学者の道は考えていなかったという。
 親である、父でさえ見抜けないものを 見抜く人はしっかり見抜いている。 母もそうであるが、
こういう人の存在が 湯川を 学問の道での成功へとみちびいていくことになる。    職人K

荘子
荘子像、
湯川はしだいに老荘思想の荘子に惹かれていく
EDIT  |  18:22  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.11 (Mon)

早朝の散歩から、 春、 職人M

magarikado.jpg
朝もやの早朝
朝7時頃に家を出て、西山公園までの遊歩道を歩く。
2月ともなると、朝日もだいぶ上まで上がっているので、明るい。 周りは濃霧で 遊歩道も幻想的だった。
歩いていると1km程離れている、日野川のほうからは白鳥の声が聞こえる。
よし,今日は川まで行って見ようと思い、霧の中を歩く。

asa no hinogawa
日野川の白鳥
思ったとおり、白鳥がガスのかかった川の流れに悠然と居た。思わずカメラを向けると、静かながら向こうのほうに行ってしまう。約20羽の白鳥が鴨と一緒に泳いで居る。何て幻想的な風景と、自分だけ独り占めしている事に優越感を感じる。
uguisu.jpg
うぐいすのさえずりが、、、
川を後に歩いていると、へたくそな鳥の鳴き声がする。ウグイスにしてはへたくそだなあ、と思いつつ
よその庭の植え込みをじっと見ていると、鳴き声ままならないウグイスが一生懸命に
ホーホケキョとやっている、そばにいる私のことなんか気にせず ,ホーホケキョ、なかなかさまにならない鳴き声に早い春を感じた。
職人M
EDIT  |  10:40  |  ART M  |  TB(0)  |  CM(1)  |  Top↑
2008.02.10 (Sun)

湯川秀樹 Ⅰ、 自伝[旅人] より

湯川秀樹がノーベル賞を受賞したのは1949年(昭和24年)で 敗戦からまだ4年しか経っていない時、まだ連合軍の支配下にあった時で 日本人は まだ貧しくて 敗戦による虚脱感ただよう中にあり、日本人としての誇りを失っている時だったという。
そんな時、このニュースが どれだけ 日本中の人びとを勇気づけたことであったか、
あたかも 日本国民全体が賞をうけた、ような喜びようであった、という。

世界に日本の知性を知らしめた、理論物理学者、湯川秀樹とは どのような人物であったのだろう。
その自伝を読んでみると、
意外に 孤独で 心に重荷を背負った生涯、未知の世界を探求する生涯であったことがわかる。
どんな分野においても、 秀でた人は 常に 抜きん出ているがゆえに、孤独であるように思われるが 湯川の場合もそのようである。

 湯川は明治36年の東京生まれだが、父、小川琢治の京大教授就任とともに 京都で暮らすことになる。
一家は、父をはじめ、貝塚茂樹、小川環樹らを兄弟にもつ、素晴らしいほどの学者一家である。
幼少のころから、内向的で おとなしい、無口な少年だった、という。
父に代わって、和歌山、紀州藩士だった、祖父の小川駒橘より 漢書の素読など きびしい教育をうけたようだ。
その幼少のときの教養からの、老荘思想が のちの湯川の考え方に大きな影響を与えることになる。

晩年は 科学者としての責任、という観点から アインシュタインと同様、核兵器の廃絶を訴えて 平和運動に身を投じて 病床にありながら最期までそれを訴えて 74歳の生涯を閉じることになり、旅を終えたことになるのか、と思う。

私たちは 何の分野においても どんな偉業を成し得た人でも その自伝を読んでみると、
その人生は 決して平坦な道ではなくて 凡人と同様に、あるときは悩み、苦しんだ、つらい時期もあったことに驚かされて かの人でもそうであったのか、と安心、また勇気づけられることが多い。 
自伝を後世に残しておいて下さって、有難いことだ、と思う。
その何分の一かでも 自分の身におきかえて 参考にできたらと思うが、
現実はなかなかうまくいかないものである。   職人K

湯川秀樹
湯川秀樹は哲学者でもあった。

未知の世界を探求する人びとは、
地図を持たない旅行者である。
地図は探求の結果として、できるのである。
目的地がどこにあるか、まだわからない。
もちろん、目的地へ向かっての
まっすぐな道など、できてはいない。
 [旅人]より、
EDIT  |  11:00  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.09 (Sat)

メガネの修理です。

misibamegane2.jpg


misiba megane1

昨日、郵便エクスパックで メガネが送られてきました。
お父さんの、使ってはいなかったメガネだけど テンプルの長さが短すぎるようなので、
もっと長くしてほしいとのこと、小売店で聞いたら、ちょっと無理だとか、せめて、
このレンズだけでも使いたいのだけれど、、、ということでした。

[ お気に入りのめがね、ちょっと調子わるかったりしませんか? ]
[ 、、そんなとき、どうか 私を思い出してください 。。。  ]とは、
私たちのホームページ、ならびにこのブログを立ち上げてくれた、
友人が 考えて作ってくれた、ブログの見出しの言葉そのままですが、
その言葉のとおり、今回、メガネを見て、そのことを思い出して下さって 本当にうれしいです。

さて ここからは 職人Mの腕の見せどころ、受け取ったメガネをじっくり見ながら、
[ふーん、何とかなるかな、、] と、つぶやいて プラスチックの部品をさがして、
作業すること10分程、依頼主の希望どおりのものになりました。
今回は メガネも 丈夫なしっかりしたフレームで それにあわせて耳に当たる部分も
太いものに取り替えました。もちろん テンプルの部分も長くなっています。

また 足で踏んだりしてフレームが壊れてしまっても、レンズが何ともない場合、
元のレンズを生かしてそのまま、新しいメガネにすることも出来ます。
そんな時、いちど ぜひ ご相談ください。

愛着のあるもの、また壊れてしまっても レンズが割れてなかったら、
まだまだ も、っ、た、い、な、い、です。直して いのちをよみがえらせたいものです。

短時間で直しも出来て、またすぐに エクスパックで送り返しました。
喜んでもらえるといいのですが。


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2008.02.08 (Fri)

京の都にて、 湯川秀樹の胸像  

さて 京の都での最後は、 ノーベル賞受賞物理学者、湯川秀樹(1906-1981)の胸像を
一目拝んでから 帰ることにした。 京都大学、北部構内に それはあった。
残念ながら 当時からの 基礎物理学研究所である、記念館も 改修工事の真っ最中、
胸像も 囲いの向こうに 博士の頭だけが見える状態で 何とも申し訳ないような風景だった。
おそれおおくもこの方を誰と心得る、先の日本初のノーベル賞、、、湯川秀樹博士であらせられるぞ、、と言いたい気持ちだった。

物理学学舎
1949年のノーベル賞受賞を記念して1952年に建てられた。

胸像
工事中のため、胸像のまわりにも囲いが。

昨年のテレビ番組の中に 福山雅治演ずる、帝都大学准教授、天才物理学者、湯川マナブが出てくるドラマがあった。 湯川とは 湯川秀樹博士にあやかって作り出した名前、また学者であると思われる。
研究室には 何かいろんな実験装置が並んでいたけれど、
理論を説明して 謎を 科学的に追求して解き明かす、ドラマの中の湯川マナブはとてもカッコよかった。
福山雅治がハンサムであるからかもしれない。
マイクを持ちながらの授業風景もあった。とても さわやかで 今ふうのリムなしメガネをかけていた。
ドラマはドラマであって 全く関係ないが、
以前から 湯川秀樹自伝、旅人を 気に入って読んでいる私にとっては、
何かと気になるドラマだった。今風のドラマであるから 全く 次元も 内容も違う。
だいいち、湯川秀樹は 丸メガネ、である。

自伝、[旅人]は、
若いころに読んで 非常に興味深く、心惹かれた書物のひとつである。 職人K

湯川教室
1942年、湯川研究室
EDIT  |  00:02  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2008.02.06 (Wed)

京の都にて、 冬の芙蓉

冬の芙蓉

クラス会のあとは その日の宿、子ども(娘)のマンションへ向かった。
友人が バスの乗り口まで わざわざ 一緒に来て送ってくれた。
206系統市バスに乗って 220円、降りたら、今度は 子どもが 傘を持って 迎えに来てくれていた。
うれしかった。

こうやって枕を並べて同じところへ寝るのも ずいぶん久しぶりであった。
京都へ出てから 約一年が過ぎようとしている。
今年一年の まとめである論文の発表もせまっているらしい。
このところ、気分も落ち込んで すっかり低迷してしまっている、という。
さては 山のハイジが大都会のフランクフルトへ出たときみたいになったかな、と思う。
何か、道を間違えてしまったかも、、とも、言う。
そうかもしれない、しかしながら それを言うのは早すぎる。

思えば 30何年前の私もそうだった。
ホームシックにも人並みに何度かおそわれた。
何もかもがむなしくなった時もある。
卒論では やっているうちに迷路にはいってしまって、
何が何だか わからなくなって、逃げ出したくなった時もある。
歴史は繰り返される、、。だれだってそんな経験はあるものだ。

道をまちがう、そんなこと、いくつになったってある。
間違っているかどうか、わからないまま進んでいるものだ。
あとにならないと、わからない。
また いつでも 違う道にもいくことができる。
遅咲きの花、というのもある。早くからうまくいく人もあるし、最後までそうでない場合もある。
だけど、そんな時こそ、陽気にいかにゃあー、との声がする。

翌朝、起きたら、 めずらしく 京都の街なかまで 雪が積もっていた。
マンションの外に目をやったら、
昨年に可憐な花をつけたという、芙蓉の花の木は、すっかり葉を落として
茶色の種子だけを残して立っていた。
芙蓉の花の木も 今 冬の真っ只中にある。
やがて春になれば また 新しい枝ものびてきて 大きな葉をつけ、
夏には 再び あの美しい花を見せてくれると 信じている。  職人K

哲学の道
冬の、かつて西田幾多郎の歩いた、哲学の道

人は人の碑
「人は人、吾は吾なり、とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり]の碑があった。
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2008.02.05 (Tue)

京の都にて、 なつかしい顔、顔

クラス会はなつかしい顔、顔、でいっぱいだった。
卒業してちょうど33年になる。当時、京都は蜷川知事の府政であった。
まだ 大学紛争の余波が残る時代であったと思う。
当時としてめずらしい、家政系であるけれど、社会科学の授業を組み込んだ、
生活経済という新設の学科が 京都府より 設置された。 私たちは その一期生なのである。
マルクス経済学、史的唯物論、資本論とは、、、はじめから難しい学問であったと思う。
それゆえに 新しい学科を立ち上げた、先生方側からの思い出、印象もひときわ強いものがあったと想像される。若くして主に京大から赴任された先生方が多く、今は国立大学の学長にまでなっておられる先生も出席された。こうして 共に 昔の話を一緒にできるのも 今となっては恐れ多いことではあるけれど、なつかしく、うれしいことだった。
クラスの同期の人は皆、それぞれの立場で 社会的にも大活躍の様子、
聞いていて さすがだな、と感心ばかりだった。
先生方の努力の成果が 何十年後になって今、実を結んでいると言っていいと思う。
女子であっても 家庭を持っても つねに社会を正しく把握、科学する姿勢を持ち続けていてほしい、
学問は生涯である、と聞いた。
劣等生である私には、学生生活も あっと言う間に過ぎ去っただけであった。
その後も、とても皆のようにはいかないが、しかし、
資本主義経済の宿命を身をもって感じながら、今、
京都でのそれは のちの生活においての考え方の土台にだけはなっていると思う。

学ぶ、学問、とは つまるところ、どこの大学を出たとか、ではなくて
自らが問うて、つきつめていくものであると思う。
その気持ちさえあれば このように恵まれた環境の時代、
しようという意思さえあれば、独自でできうるものだ、と思う。 いわゆる独学、である。
大事なのは その学ぶ姿勢、またその姿勢を持ち続けること、であると思われる。

集まった、なつかしい友人、先生方に
うちの 感性あふれる、知識人の丸メガネをよろしく、とおおいに宣伝して、
また、次なる再会を約束して クラス会をあとにした。 職人K

銀閣寺
翌日、雪のかかった銀閣寺
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2008.02.04 (Mon)

京の都へ、 鯖街道、朽木を行く

朽木を行く

美林
これは杉の美林

美林2

先日は 5年ぶりのクラス会があり、またまた京都へ行くことになった。
もう 何回か行っているうちに すっかり車で行くことも慣れてしまって、
このごろは 琵琶湖の西を そのまま ずっとたどるよりも もっと近道である、
朽木経由の街道、すなわち鯖街道を選ぶことが多くなった。
といっても 湖西のとちゅうの高島から朽木へ向かうコースであるが。
例年より ずっと雪も少ないから 私の運転でも大丈夫、と判断した。
鯖街道、すなわち日本海の小浜から京の都に 鯖、を運ぶのに使われた街道である。
途中、何年か前の記録的な豪雨で山崩れがあったところは不通のままであるから、迂回路が作られているが 川に沿って Ⅴ字谷の地形にそのまま道も通じ 花折峠を越えて大原峠につながっている街道である。
とちゅう、杉の美林が続いて その美しさに目をうばわれるが、
近くを通りながら よくよく観察すると 杉ばかりでなく 檜(ヒノキ)もかなり多くあるのがわかる。
そういえば ヒノキについては いにしえの木、として記紀、また万葉集にも多く詠まれていて、
風土記などでは 木の順番は 必ず、檜、杉、松となっていて 当時の木材の価値付けがわかる、ということを何かで読んだことがある。
古からの神社、仏閣の屋根に 檜皮(ひわだ)葺き、というのがある。
現代では その職人から技術から、 古くなっても葺き替えがなかなか困難であるといわれているが 檜そのものも 大木は少なくなってきているという。
昨晩に降ったと思われる、新しい雪化粧におおわれた山々、木々にみとれながら
京の都に向かった。職人K
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2008.02.01 (Fri)

もう、はや2月

20080131230207.jpg

もう はや2月、月日のたつのは本当に早い。
もう 今年1年の 12分の1が過ぎてしまったことになる。
暦では すぐに節分の日、豆をまいて鬼を追い払う日が来る。
この季節、鬼のまとっている衣装の柄のような模様の、こんなメガネはどうだろう。
これこそ全部 ひとつひとつ手作りのもの。 デザインも職人M。
以前 サンプルとして作ったものだが
斬新で、ユニーク、どこか間がぬけていて、にくめないような表情のメガネであると思う。
今 あらためて見ると なかなか 奇抜で面白いなぁ、という。

先日 メガネの今昔の歴史、およびデザインの変遷が特集してある図版、洋書を 買ってきた。
それによると メガネの始まりは、
本の上に 拡大レンズそのものを直接置いて使うことから始まり、
劇場などで使う 片手のついたルーペなどの形を経由して、
現代のようなタイプのものは 18世紀中ごろ イギリス人、ジェームス・アイスコフによって作られた、
テンプル眼鏡からであるという。
そのデザインは 今みても 斬新である。
現代は ありとあらゆるデザインのメガネが出ているが、
200年近く経っているというのに かえって現代のものより 洗練されていて、今なお新しく感じられるのは どうしてだろう。
やはり それは 時代を超えて 優れたデザイン、であるからだと思う。

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19世紀のもの、いちばん最初のテンプル眼鏡のモデルも ツルが真ん中で折りたためるようになっていた。

20080131230242.jpg
18世紀のもの。

今年は丸、以外にも変化したものを提案、発表していきたいと思うが、
やはり 丸めがねは 永遠の形、であると思う。
人は丸メガネを選び、また 丸メガネ自身も人を選ぶように思う。
今後とも さらに 追求していきたいと思う。 どうぞよろしく。
職人M、 職人K
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