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2007.11.26 (Mon)

老い、について   Ⅱ

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 老い、とはだれにもいつかやってくるものである。
生き物として この世に生まれたならば、つまり 人間として この世に生まれた瞬間から 死に向かって生きている、ということになると思う。  そしてその前には 必ず 老い、というものがある。昔、地理の授業で 山々の形状によって 青年期の山、壮年期の山、そして老年期の山というのに分類するのがあったことが思い出された。火山もそうだが 侵食や溶岩の流れなどによって形が変わっていくことは 小学生でも知っていると思う。ただしそこに 死、というものはない。生き物の成長、一生になぞらえているだけである。
 この歳になってくると このごろしきりに自分でも老い、ということをつくづくと考えさせられることが多い。ただし 自分の死、ということになると 元気な今においては もうひとつピンと来ない、まだまだ先にあるものとしてしか考えられない。
 この死、というものについて考えると 自分では経験できるものではないから 我々は 自分のまわりの、たとえば肉親などのそれによって それを経験するのである、ということはよくわかる。
 そして 老い、というのは全く自然のことなのであるから、今さら 問題として大騒ぎするのではなく、 解明すべきことを考える、ひとつの課題としてひとりひとりがとらえてほしいという結論であった。

 ところで氏によると フランスのパリの学校では週に8時間も哲学をする授業がなされているようである。心と身体の関係などについてというふうに。 哲学とは 西洋発ではあるけれど もうどこの国においてもそれなりに消化して独自のものがじゅうぶん根付いているはずであるから そろそろ 日常的なことにおいて 哲学的な作法、というものを 自ら考えてもらいたい、ということだった。

 そして氏は 生け花の世界にあった、ある華道家について非常な衝撃、感動というものを受けられた話をされた。それは たくさんの枯れた、死んでしまっている花を表現、いわゆる花の死を見届ける前衛作家の話をされた。

 花、というのが出てきて 私はそこで 常々見て感じるものがあるところの、ある花を思い出した。それはアジサイの花である。
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