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2007.09.28 (Fri)

自分のメガネに うっとり

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以前友人のメガネを作ったのですが、車の中に入れておいたら、ある日掛けてみると、レンズに細かい亀裂が入ってしまいました、これはレンズの表面に掛けてあるコートが、今年の夏の暑い熱に侵されてしまったらしいのです。
それで、またメガネの依頼があり、今度は遊び心のあるおしゃれなものをと言う事で、リムの周りに鼈甲調のセル輪を巻いた、クラッシックな、作家風のメガネにしました。

出来て行くうち、だんだんかっこよくなっていくのを見て、自分で興奮して来ました。アンティクゴールドと鼈甲色のセル輪との色の組み合わせ、出来てくるめがねが自分の手から離れていくのが
つらくなるような気がしてきました。
自分で言うのは恥ずかしいけれど、かっこいいなと思ってしまいました

レンズの大きさもかなり小さくして、目の大きさと同じくらいの38mmの小さなレンズです。丸いメガネは小さいほうがかっこよく見えるような気がします。でも、目の瞳孔距離と言うのがあって、ブリッジの幅を調整をすることで、掛けても目が疲れないのです。
レンズがちょっと大きいと、ドラえもんの、のびた君や、ハリーポッターのようになって、決まらないみたいです。
50歳を過ぎると、「チョイ悪親父」も良いけど、自分の顔に責任を感じさせるような、自分のポリシーが出せるようになりたいものです。
私は、丸いメガネは精神的な自由人の意思表示と思います。

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毎日のマニュアル化された生活から外に一歩はずれてみませんか?
なかなか、自分のオリジナルなメガネが出来ませんが、少しづつゆっくり進みながら気に入ったものを作るのが自分に合っているような気がします。次のメガネに乞うご期待!!
職人M
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2007.09.27 (Thu)

暑かった今年の夏は

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今年の夏は非常に暑かった。毎年、温暖化が進んだ結果だとその度に言われてきたが 今年の夏もまたしかり。 各地で 37℃、38℃、39℃、ついには40℃を超えるところまで出てきた。しかも暑い日の連続日数も記録を更新したようだ。 ようやくこのごろになって秋を感じるような朝晩になり やっと体に元気が戻ってきたように思う。息をふき返した思いだ。
 昨日 NHKのクローズアップ現代では 今年の暑かった夏の総括として、報告と検証を、特集していた。
それによると 今年はいつもの太平洋高気圧に加えて インド洋の海温の上昇から勢力を増した、チベット高気圧までが 日本を覆い 両方の高気圧による、高温現象だったという。しかも この現象は 専門家が危惧している、50年先、100年先には当たり前としてあるだろうと思われる気圧配置であったとのこと。こんなに早くに そのはしり、ともいうべき今回の夏があったことにショックをうけているとのことだった。
 いよいよ来るべきことが来てしまったようだ。今後 日本は亜熱帯に向かっていくとのこと。気温が1℃上昇すると 地球の緯度にして300km下がるという。
 レポートでは以下のようなことが報告されていた。
 まず沖縄の海の中のサンゴに どんどん進むと死滅に至るという、白化現象。これは今年だけの際立った異変である。
 富士山麓での低木など緑の植物の これまで生存出来なかったより高い場所への進出。また頂上付近での 永久凍土の確認できない場所の出現。
 また 食にかかわる農業での異変は、まず 愛媛などのみかん産地では日焼け、という商品にならない被害をうけたものが多く この時期間引きという作業にはいるのだがほとんど落とさばならない状態であるとのこと。それで将来にそなえ 暑さに強い他国の種類のみかんやアボカドなど亜熱帯の果物の栽培を模索しているとのこと。
 九州の米では 高温障害のため かつては一等米が80%超あったものが今は20パーセントしかないこと。今後 稲作は困難ではないかとの展望であること。
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そして一方 これまで冷害など栽培にも困難をきわめた、東北、特に北海道の産地が ここ数年 おいしさにおいても非常な変化がみられ このまま温暖化が進んだ場合、日本の中で 特に適した稲作栽培の地となるのは確実なようで また期待されているとのことであった。
農業での大きな変化は 私たちにとって 食にかかわる、これから重要な問題だ。全般的には 収穫できる食料の量はマイナスになるという。
 暑いというだけでもつらいが 暑い夏がもたらす影響はとてつもなく大きい。本当に困った事態だ。
 今まで寒すぎたところがちょうど昔の日本のようになり 本州の南に行けば行くほど 亜熱帯の南国のようになるということだ。

 私は ゴーギャンの タヒチの女、という絵画を思い出した。南国には南国の美しさがあると思うけれど、 それはちょっと困る。
四季の変化に富んだ、これまでの気候の日本がいちばんいいと思う。
日本のよさ、美しさは 何においても 極端に強くない、ほどほどという、濃厚過ぎるよりはあっさりとした、[淡泊]という言葉に表されると思うが、 このことは 日本の気候とも大いに関係がある。
暑い亜熱帯になると 楚楚、とした美しさというのは 無理なような気がしてしまう。
 このような日本に住むことが出来ることを常々有難く思っているのに
本当にどうしたらよいのか、と思う。    職人K
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2007.09.24 (Mon)

かつて人ありき

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 今日はお彼岸の、秋分の日、かつての師である、先生の碑をたずねた。先生が亡くなられてちょうど10年になる。毎年 お彼岸の日をはさんで前後の日に 一年に一回、先生を偲ぶ会があり 今日はその日だった。

[ かつて人ありき ]と碑には刻まれている。
その銘のとおり、私たち後世の者の心の中にのみ残ることだけで十分。世俗的な名誉とか、財産とかにとらわれることなく、それどころか執着することを極端に嫌われる師、先生であった。その結果 見事に何も残されずに この世を去られた。
 ザ、ラストサムライと称せられるとおり、士族の血をつがれ 博覧強記といわれる分野は、歴史、政治、経済、文学、芸術にいたるまであらゆる分野におよび、学者であり、あるときは豪快な武士の風貌がただよい、あるときは 一人の詩人であり、あまりに大きすぎるがために 一言で形容し難い人物の、師であった。
 [君らに話をするときには うーんとレベルを落として話しているのだ。大学そのものがあてにならん、このごろはあまりに無知すぎて話にならん、、]とは 先生の口癖であった。
[学問]ということに 何よりあこがれた。
また 人生についても いろいろ教えていただいた。
[人生は陽気に行かにゃぁ、いかん。陰気ではだめだ]と。
 日々の生活の中で こんな時先生なら何て言われるだろう、と考える時が何回かあるけれど 先生の豪快な笑い声が今でも聞こえてくるような気がする。         職人K

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 碑の裏には先生の簡単な略歴のみが刻まれている。

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馬借街道入り口の近く  武生[ 越前市 ]にて
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2007.09.23 (Sun)

long time no see Ⅱ

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 なつかしいレコードジャケットが出てきました。

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2007.09.22 (Sat)

long time no see   お久しぶりだね、 のメガネ

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 このたび 友人の、そのまた友人の方のご依頼で 特別注文のメガネが出来ました。
long time no see、っていうと 往年のファンならわかるのかも。
かつてのつま恋コンサートでのフォークソングの第一人者である、よしだたくろうの大ファンとか。
レコードジャケットにあるようなメガネがぜひほしいとのことで 大体ですがそれに近い形のメガネが出来上がりました。
 たくろうファンは今でも本当に多いですね。女性のみならず、同世代の男性にも また若い世代にも多く支持されています。私も若いころ 全集を買って 家で、また通勤の行き帰りに運転しながら繰り返し聞いたものです。今でも最初のイントロを聞けばだいたいあとのメロディーがわかるというものです。懐かしく聞いていると 22歳の子供も[ 悪くない、好きだわ 」と言います。
 昨年、再び開催された、つま恋コンサートの模様がテレビで放送されていました。50歳台以上のファンの方が多いように見えました。みんな
それぞれの青春の思い出にかえって たくろうと一体となって歌を歌っていました。
 大きな手術をして回復したばかりというのに エネルギッシュに歌う、舞台の上のその人は まるで聴衆であるみんなの 神さまのようでした。やはり フォークソングで一世風靡した、音楽界のカリスマですね。数多いミュージシャンの中で ヒット曲の数もダントツです。

このメガネをかけて たくろうと一体感を感じてもらえるとうれしいです。

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思い入れのある、フレーズや言葉を刻んだ 自分だけの お気に入りの
一枚のメガネ、あなたも ぜひ いかがでしょうか?

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2007.09.20 (Thu)

art  gallery     いちぢく編

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 沈思黙考


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 歯科医


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 とんぼのメガネ


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 出番待ち、いちぢくの行進


  空想イメージの世界、いかがでしょうか?
  写真をクリックして 大きくして見てください。 AD 職人K
  
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2007.09.19 (Wed)

いちぢく賛歌

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いちぢくよ どうしてこんなに美味しいの 神秘の果物 おいしすぎる

 先日 知り合いの人から いちぢくをたくさんのこと、いただきました。本当においしい、大好きな食べ物です。好物であることを周囲の人に言っていたら あっちからこっちから いただくことが多くなってとてもうれしいです。感謝しながらいただきました。
 毎年秋になって 店先に並んでくるとそわそわしてしまいます。毎日食べたいくらいですが 家計を預かる身、やっぱり高価であるので 毎日は買えません。
 それならということで ついに昨年 苗を2株買って 家の空き地に植えさせてもらいました。苗の時からついていた実は落ちてしまいましたが 今年はそれぞれ1つ、2つと合計3個と実がついてはじめて収穫となりました。もちろんはじめてのものなので まず仏壇にお供えしてから 皆で分けていただきました。とっても甘くておいしかったです。
 子供時代には 田舎では 近所でも割りと植えてあったので 口にする機会が多かったのですが 何種類かあっても こんなに甘くて大きくはなかったです。もっと野趣がある味のものが多かったように思います。品種改良が 果樹においてもどんどん進んでいるんですね。
 いちぢく、というのは漢字では 無花果と書きます。その名の通り 一般に花として見えるものは無いようです。初夏に葉の付け根に びわの実の形の花嚢[かのう]がつき、この中に無数の花があって 果実として賞味されるのは、実は この花嚢の生育したものらしいです。花を 果実として食べているということでしょうか。
 丸ごと食べるのの他、ジャムにしたり、そういえば 富山に行った時には いちぢく羊羹というのもありました。また ケーキ屋さんでは いちぢくのタルトとか、ショートケーキのデコレーションに多く使われています。とってもおしゃれな感じで 上品で都会的ですね。私は何といっても 丸ごと派です。そのままが いちばんおいしく感じられます。    職人K

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2007.09.16 (Sun)

日本人の美意識

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 今日、ちょっと出かけて車を運転中、すばらしい芸術作品にでくわしました。
思わず、おおーっと声をあげて、何故か 笑い転げてしまいました。
これは文化会館のまわりの生垣、というより 芸術作品です。だれかのデザインなのか、それとも植木屋さんの趣味であるのか、だいぶ大きな木になっているところを見ると 剪定の仕様が毎年申し送りで決められているのか、といろいろ思うとおかしくて仕方がありませんでした。
この木はイブキという木で 生垣には 普通一般的に最も多く採用される木だと思います。

 日本には 盆栽という、特に年配の人の楽しみのひとつである、文化があります。また日本庭園の樹木の枝ぶりとか、絵画的な見立てを楽しむものがあります。思い通りの見立て、景色になるように ある程度手を加えて格好が良くなるように苦心します。いらない枝を切り、また針金などで悪いくせを直すべく巻いたり、ひっぱったりします。
掛け軸にあるような山水図みたいになると 非常な満足感であると思われます。人に見てほしくなるといいます。
 そのような盆栽などを 他国の人が見ると 理解できない、と言う意見も聞いたことがあります。木には その木本来のあるべき姿というのがあって 自然なままあるのがとても美しいというものです。
 どちらももっともだと思います。

それにしてもこの大胆なオブジェのような木々、すばらし、す、ぎ、る、風景でした。

職人K
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2007.09.15 (Sat)

栗きんとんのお菓子

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 先日 岐阜の知人から 秋の味覚、銘菓、[栗きんとん] をいただきました。背すじを正して お茶といっしょに いただきました。ほろほろと 素朴で 栗のおとなしい甘さが いつもながら とってもおいしかったです。ひょんなことから親しくなった、岐阜の友人から 秋になるといつもいただいて これで4度目の秋になり、感謝していただいています。器はいつもながら職人Mの作。

[ いがながら 栗くれる人の誠かな  子規 ]  とありました。


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また 題字は 熊谷守一の書でした。
そういえば 熊谷氏は岐阜県の付知[つけち]の出身、近くなんですね。
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2007.09.14 (Fri)

みのりの秋であるけれど

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 暑くてもやっぱり秋だな、というふうに感じられるこのごろの天気です。店頭には 梨、りんご、いちぢく、ぶどう、温室みかん、などたくさんの果物が並ぶようになりました。実りの秋、を実感します。
 
 昨日の総理辞任のニュースには日本中がびっくり、驚きました。
なぜ 今の時期に、ということで理解が出来ませんでした。健康上の問題があったようですが それならそれで ちょっとあの会見では説明不足ではなかったかと思います。何を行なうでも 時の味方が必要である、と言いますが 選挙のあとにその結果に対して責任をとってやめるのであれば じゅうぶん筋が通っていたと思います。そして次の総理に
果たせなかった、国の大事を託すればよかったと思います。
今の言葉でいうなら タイミングが大事だということでしょうか。

 タイミングといえば 日銀の利上げのタイミングということが頭にうかびます。最近の 銀行株の値下がりにはびっくりしています。ひところの3分の2くらいまで下げています。専門家に聞いたら サブプライムローン問題による先行き不透明感だといいます。銀行株に限らずこのところ何でもが全面安のようですが。
 今年初めまではかなりの景気回復感がみられました。
大手企業の決算でも バブル前以上の好決算の見通しのところも多く見られる状態でした。日銀の利上げのタイミングはまさにその時であったと思います。
 日銀は 全世界にあわすべく金利の早期の引上げを示唆していたのに
それなのに いつも まだまだという、政治家の圧力によって先延ばしをくり返してきたのでした。世界の中で 日本だけが 超低利であるので 金利の安い円で借りて よそで投資をするというキャリートレードというのが行なわれ 日本にとって結果的に良くない原因ともなりました。ずっと続いていた超低利の金利、これは借りるほうは有難いけれど 貯蓄しようという気持ちすらわいてきません。日本の貯蓄率は下がる一方だといいますが 日本はアメリカのまねはしてはいけないと思います。
そもそも アメリカの住宅ブームにしても 安易に借りることから始まり サブプライムローンなどというものが出てきたのではないでしょうか。私は 報道で クレジットカードを何枚も手にしているアメリカ人を見るにつけ 全く恐ろしくなったものです。アメリカは消費大国、 第一の通貨、ドルを持ち それでいいのでしょうが 勤勉を誇る日本ではどうでしょう。
 米国からはじまった株安に 今の政局不安が加わって 18000円まで回復した日経平均株価、東京株式市場は実に3000円近くも落ちてしまっています。先行き不透明感が漂う中 こんな状態で 利上げなどとても遠い話になってしまったようです。タイミングを失ったものは 今のこのような経済の雲行きでは これからは当分来ないと思います。
 この秋 あまりに株の全面安が続き これからまた 銀行、冬の時代が来るのかとも思われるような様相に不安をいだいています。  職人K
EDIT  |  06:41  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2007.09.12 (Wed)

9、11アメリカ同時テロからはや6年

 2001年9月11日のアメリカの世界貿易センタービルへの同時テロから はや6年になりました。あの時は 報道されるニュースを見ていて本当にどうしようもなく恐ろしくて朝までなかなか寝つかれませんでした。
 NHKのニュ-スのキャスタ-はたしか堀尾アナウンサーであったと記憶しています。どちらかというとお笑い系のアナウンサーですが あの時はさすがに緊張して顔がこわばっていました。
 はじめは単なる飛行機の衝突事故かと思われたのが、しだいに真相がわかってきました。二つのツインタワーのビルの火災が 崩落へと進み 一部始終が世界に報道されました。逃げ出すことも出来ず犠牲になった人は2700人とのこと。
 昨日は その日の追悼の行事が執り行われ、そして今なお苦しんでいる後遺症の人、また遺族の人の今が報告されていました。

 あれからアメリカは まず テロの首謀者とされる、オサマ、ビン、ラデンが潜んでいるというアフガニスタンへ報復侵攻、さらに2003年3月には大量破壊兵器を隠し持つという、フセイン独裁政権下の民衆解放の名のもとに イラクへ侵攻、ついに全土を掌握するに至ります。
 そして今日イラクはどうなったかというと 自爆テロのくりかえしと
民族間の内戦のいっそうの泥沼化であり 平和の安定ははるか遠くのこととなってしまいました。今アメリカ自国はもとより 国の内外で イラク戦争までのことについて 是非を問う声が大きくなってきました。
 
 しかしながら それによって確実にアメリカが獲得できたこともあるようです。識者によると それにより イラクの原油の決済通貨はユーロから再びドルに戻りました。また フランス、ロシア、中国にふりわけられていた油田の権利もアメリカ側に。
 実は2000年11月よりフセイン政権のもと今までのドルによる決済がユーロに切り替えられ、他のOPEC諸国もこれに追髄する動きであったとのこと。アメリカからみると非常な危機感があったのでした。
 すでに今日においても ユーロは確実に 世界全体の通貨に占める比重をふやしており 今後ますます存在感を増していくことが確実のようです。私たちのレベルでさえ、銀行へ行くと ドルではなくてユーロの外貨預金をしている人が見かけられます。そしてドル安は進んでも ユーロは高値を更新しています。
 アメリカは昔から覇権国家です。富のためなら 手段を選ばず、とのように見えます。中東におけるドルの防衛と、石油の利権。
 かねがね いだいていた危機感と それらの奪回のための戦いの必要という問題に対して 9,11のテロによる本土攻撃は 例によって [ リメンバー、9,11 ]ということで 圧倒的なアメリカ国民の支持と、脅威とされる国々への攻撃への大義名分を このことで容易に獲得できたということは間違いありません。

9月11日に犠牲になった人、今なお苦しんでいる人を思うにつけ つねに 一部の または多くの 人びとの犠牲のうえに 歴史が塗りかえられ、進み刻まれていくことを思うと やりきれないものを感じます。
また 同時に アフガニスタンやイラクの人の悲劇もしかり、だと思います。        職人K 

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EDIT  |  01:27  |  社会経済  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2007.09.10 (Mon)

蕎麦の花

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 稲の刈り入れの時期となりましたが そのすぐ近くで 減反による転作の作物として栽培されている、蕎麦の白い花が咲き始めています。
蕎麦は種まきから収穫までの期間がとても短い作物とのこと。大体75日とか。10月中旬以降が刈り取りの時期となるようです。
こちら地元のものだけではまかなえないのか、オーストラリアなど海外でも栽培されていると聞きました。
 こちら福井の、いわゆる越前そばですが とても有名です。県外のファンの人もとても多いはず。かたくて素朴なままの感じの手打ちそばは私のまわりでも人気があります。どこそこの何という店がおいしいとか、だれでもここ一番というお気に入りの店の名前をあげたりして
いちどは そばの話をしたりします。
また 冠婚葬祭の席でも そばが一品としてよく出てきます。
 この越前そばですが、どこが特徴があるかというと それは大根おろしと一緒に食べる、おろしそば、というのが他県とちがうところでしょうか。もちろんかけそば、にしんそば、とか一般的なものもあります。
でも何といっても こちらではまず おろしそば、です。
 大根おろしの中のジアスターゼが消化をたすけ、その点でもとてもよいです。
 私の 江戸時代がとてもくわしい、先生によると 昔から中国大陸では何でも長ものに、麺にして食べる習慣があったらしいですが それがこちら越前武生に伝わったらしいです。同じ福井でも 若狭のほうでは昔はそば切りよりも そばがきにして食べるほうが多かったらしいです。それは 武生の、府中藩主、本多富正が京都からそば師を連れて帰ったのか、そのころから 越前おろしそばが始まったものと聞きました。記録では 慶長8年[1601年]にそば切りが始まったとのこと。
また享保8年[1723年]の記録にも 武生のそばが食べたい、との記述があり そのころすでに武生の越前そばが有名なことがわかるとのことです。

職人K
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2007.09.06 (Thu)

ただいま、オリジナルめがね製作中です。

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もう秋なのに まだまだ暑い日が続いています。今日もかなり暑かったです。朝晩は涼しくなりましたが 皆さん、体調をくずさないよう、くれぐれも御注意下さい。


 さて オリジナルめがねの製作も 改良を重ねて ずいぶんおそくなりましたが 何とか進んでいます。2mmのチタンの板を削りだしをしたメガネですが 当初のテンプルから バネ性のある、βーチタンに変えました。チタンの無垢のままの板わくの丸メガネです。
最近 市場でも メッキをつけない、素地を生かしたメガネもでています。
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職人Mのサインであるロゴが目じるしです。
EDIT  |  00:05  |  めがね関連  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2007.09.04 (Tue)

中江藤樹のビデオ映画

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 この休日に早速買ってきた、中江藤樹の生涯のビデオ映画を見てみました。藤樹に原田龍二、藤樹の母に樫山文枝、あと長門裕之、伊吹吾郎など豪華な顔ぶれのキャストで 滋賀県高島市が生誕400年を記念して製作した、その意気込みが感じられました。
 とてもよくわかってよかったです。戦前までは 修身の教科書には必ずと言っていいほど出ていたらしいのに 私たち 戦後の教育においては全く遠くへ追いやられてしまったため、日本史では 名前だけが出てくるだけで 人間的なものが十分伝わってきませんでした。
 1608年生まれ、江戸時代初期の人です。陽明学の祖といわれています。幕府には朱子学というのがありますが 同じ儒学でも 実行を何よりも重んじる学問です。知っているだけでなくそれを行動にしめしてこそ本当の学問をしたことになる、ということでしょうか。
 愛媛の大洲藩で重要職についていたにもかかわらず、藩主に願い出て
ついに脱藩してまで 郷里の母のもとに戻ります。そしてそこで私塾、いわゆる藤樹書院をひらき 地元の人のみならず 多くの人に学問を通して広く感化してゆく、という生涯を描いています。
 映画の中では 馬の鞍に忘れた200両を8里もあるところから馬方が追いかけてきて元の持ち主に届けるのですが 礼金さえ要らないという、さぞやお困りのことと思って届けたまでで 無事届けることが出来てよかった。これはあたりまえのことで 自分の村の先生の教えであるという。それを聞いていた侍が 後の一番弟子となる熊沢番山であり、[後に岡山藩においてその学問からおおいに手腕を発揮する人ですが]
その馬方との出会いから 高島の小川村の藤樹のもとに弟子入りするストーリーになっていました。なかなかハンサムでよかったです。
 それから 200年かのちには大塩平八郎が墓参りに道をたずねてくるという展開でした。

 わが郷里、武生においても[現在は越前市ですが]藤樹書院のような、いわゆる私塾がついこの前までありました。先生は 武生藩主、本多家の血を母方から継がれる家系で ザ、ラストサムライと自分のことを称し、言より行を重んじる、いわゆる、藤樹の学問をひきついでおられました。口は悪いほうだという点だけは 映画の中の先生とはだいぶちがっていましたが。その 私たちの師であった先生も この秋で亡くなられてからはや10年になります。    職人K

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中江藤樹は 内村鑑三が19世紀に こんなすばらしい人がいるといって 外国に紹介された、いわゆる代表的日本人の5人の中にはいっています。
EDIT  |  21:44  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
2007.09.02 (Sun)

沖縄-琉球のおみやげのメガネ

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 今日 遅い夏休みをもらって沖縄へ行っていた子供が帰ってきました。沖縄がとても気に入っている様子。 社会人となってから何回か行っています。おみやげだ、と言って買ってきてくれたものは、何と 水中メガネです。へぇーっと よく見てみてみると 本体は 木で できています。ひもは革ひも、大きさは調整できるようになっています。
ひとつひとつ手作りだといいます。もうだんだん作る人がなくなってきたと聞いたといいます。かけてみたら とても心地よいフイット感、つくづく感心してしまいました。この水中メガネをかけて 沖縄の澄んだ海の中をみてみたいものです。子供も これだ、と思って買ってきたとのこと。
やはり メガネが家業の家の子供ですね。
 沖縄は昔 琉球王国があったところ、現地の人はみんな自分の住んでいるところを球のように美しいところと思っているのに 本土から見る人は 沖にうかんだ縄のようにみえるので 沖縄というのさ、本当は琉球のほうがいいな、とは 職人Mの話。学生時代には 琉球出身の人が
いたらしいです。映画を作る、芸術家とのことで もちろんこのメガネではないけれど 黒いサングラスをいつもかけておられたようでした。

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職人K
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2007.09.01 (Sat)

湖西を行く     藤樹書院跡

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 昨日は用事があって ひとり 湖西をドライブしながら通った。
明日からもう9月という8月最後の日、滋賀県の琵琶湖の西も はや秋の色になっていた。
福井と違って 雨風がなかったのか、みのりが貧弱なのか、それとも品種が違うのか、田んぼの稲はまったく倒れずに黄色になっていた。
 高島郡安曇川町にさしかかり かねて気になっていた藤樹書院跡、すなわち 近江聖人といわれる中江藤樹の私塾のあったところ、またその地に建てられた藤樹神社、藤樹記念館に立ち寄った。もう日没にさしかかっていたので 記念館は閉館していたが 生誕400年を記念して製作したという映画、中江藤樹の生涯のビデオだけ 取り急ぎ買って帰ることにした。
 何回か通るたびに 道路標識を見ながら 中江藤樹の母の話をしたり、思い出したりしたものだ。何回か通るほとんどの用事は 滋賀であったり 京都であったり 県外にいる子供の用事のことが多かったからだ。
 藤樹の少年期のとき 体の具合の悪い母を心配して 遠くから郷里へ戻るのであるが 
母は[ 案ずることはない。大丈夫である。それよりも 学業の半ばで 母のことくらいで戻ってきてはいけない。]と家の中に入れずに帰した、という話だ。 同じ母でも 自分とはずいぶん違うものだと いつも苦笑しながら通ったものだ。
 それはさておき 中江藤樹については 若いころいろいろ教えてくださった先生からいつも聞いていた。また 細川前首相の 最近の週刊誌での連載のエッセイの中にも この藤樹書院跡が出ていた。何百年の月日を越えてなお、この近江の人々の中に藤樹の教えが伝え残されているのか、近くを通る子供たちが 挨拶をかわしながら深々とお辞儀をして行った、とあったのを覚えていたからだ。
 ビデオを見てから もう一回たずねてみたいと思い また目的地に向かった。  職人K


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 安曇川から 琵琶湖のむこうの伊吹山を望む
EDIT  |  20:12  |  学問  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
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